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大人のレッスン

児童・思春期の臨床に携わる中で、1992年頃からの講演の記録や、いくつかの会誌にコラム風に載せた文章を小冊子にまとめる機会を得ました。

「レッスン」とはおこがましいのですが、子どもとかかわる大人の皆様にいくばくかお役に立てれば幸いです。

以下の文章は「大人のレッスン」の中から取り上げたコラムです。

さんクリニック院長 松本 喜代隆
大人のレッスン

目次
1. コラム「地平線」    ─ 広報誌「らいふ」より13回分

2.「精神科の光」      ─ 精神神経科同門会誌より

3.「教室と家庭のあいだ」 ─ 講演記録

4.「出すことはいいこと」  ─ 会誌コラムより

5.「そっと助けてください」(児童・思春期外来の子どもたち)

 

?講演記録

以下は、

1997年─2002年にかけて、精神保健福祉協会の広報誌「らいふ」に、「地平線」というタイトルで連載していたコラムを加筆・一部変更したものです。

 

 

「一色の夏」

 

私の夏とあなたの夏、今年の夏と去年の夏は、相当違った夏であるに決まっている。

 

しかし、中学生や高校生にとって、夏休みは(夏休みでさえも、というべきでしょうか)、どうやらそのようには用意されていないようです。子どもたちに用意された夏を少々大げさに素描すれば、次のようになります。

長い夏休みの間に、だらけた生活にならないように、怠けないように、遊びぐせがつかないように、たくさん宿題を出しておこう。できればバランスよく学習させるために、すべての教科で課題を出してやろう。もちろん、受験に必要な主要教科は、いっそうの強化をねらった課題にしてあげよう。それだけではまだ心配なので、夏休み明け早々に実カテストをもってきて気をひきしめておこう・・・・・。

 

これが、大人が(学校の先生が、ではありません)、子どもたちのためによかれと思って用意した夏です。

私の夏とあなたの夏は、限りなく似かよってしまいそうです。

そして、そうなってしまえば、私の夏とあなたの夏は、優劣がつけられてしまいます。だらけた私が負けで、だらけなかったあなたが勝ちです。

 

先日の文部省の発表によれば、30日以上学校を欠席している中学生は、60人に1人の割合に達するとのことでした。増加傾向に歯止めをかける有効なてだてがないのが現状だとも発表されていました。

そこで、提案です。少なくとも夏休みの宿題と、休み明けの実カテストを廃止したらどうでしょう。

不登校の対策のためという狭いねらいからではなく、「もっと大切なことが、世の中にはあるのですよ」という人生の哲学を大人として子どもたちに本気で教えることをねらって。

 

うーん、でもおそらく、「夏休ミノ宿題ヲ禁ズ。破ッタ者ニハ重イ罰ヲ科ス」という法律でも作らないことには実現しないだろうなー。

 

 

 

「ただ好き」

 

アニマルセラピーという言葉があります。アニマルは動物、セラピーは治療という意味ですから、要するに、動物と接したり動物を飼ったりすることで、心をなぐさめよう、支えよう、成長させよう、といったことがらをさす言葉です。

 

たとえば、犬を飼います。そうすると、犬、エライわけです。どんなふうにエライかといえば、飼い主であるこのわたしが、お金持ちだろうと貧乏だろうと、会社で他の人から好かれていようと嫌われていようと、学校に行っていようと休んでいようと、そんなことには目もくれずに、ほかならぬ「このわたし」、「この今の自分」をただただ好きになってくれるからです。

肩書やら実績やら外見はまったく関係なしです。

 

これは、とても大切なことです。大人も子どもも、無条件に誰かから好かれる、という体験が、ときどき必要なのだなーと思います。自分に自信をなくし、人から好かれるなどということが、今後、この自分にありうるだろうか、おそらくないだろうなと思っていればなおさらです。

 

大を飼っている人に、「大のどんなところがいいですか」と聞いたら、「話をしないところです」と答えてくれました。

なるほどなるほど、よくわかります。もし、大が「ご主人様、大好きです、大好きです、大好きです」と言いながらなついてきたり、「学校なんかに行ってなくても大丈夫ですよ、大丈夫ですよ、大丈夫ですよ。だから、ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ」などと言ってはげましてくれたりしたら、あぁうるさいと感じて(犬には申し訳ないけれど)蹴っとばしてしまいそうだと思います。

 

思春期は、『大人の赤ちゃん』の時期だという言い方をします。赤ちゃん時代のように、もう一度、言葉が伝わりにくくなる時期なのです。なのに、わたしたち大人は、つい「話をする犬」になってしまっているかもしれません。

 

「嵐の舟」

 

ほんとうかどうかはわかりませんが、人は誰でも、3歳までに、自分の舟を作ると言います。

 

ていねいに作った舟も、まだ完成していない作りかけの舟も、3歳になると、いやおうなく、港を出て行かなければなりません。

最初は、波もなく、比較的おだやかな航海が続きます。いわば、そこは、子ども時代の海です。(もちろん、いきなり台風の真っただ中にほうり出される舟だってあるのですが、今日は、ごくありふれた舟のおはなしです)やがて、どの舟も、針路を、思春期の入り口へと向けます。

思春期の海は、それまでの海と違って、例外なく、嵐の海です。子どもたちの舟は、荒れ狂う波にもまれます。そして、その中で初めて、自分の乗っている舟が、大人の海にも通用する舟なのかどうかという重大な課題に直面することになるのです。

風に弱い舟、水漏れする舟、燃料が切れそうな舟。すべての舟は、嵐の海の上です。

 

今、いじめられている子は、自分の乗っている舟を、どう感じているでしょうか。何かの理由で、運動がとても苦手な子はどうでしょう。また、教室を居心地悪く感じて、長く学校を休んでいる子は、大人の海、つまり自分の未来を、どう想像しているのでしょうか。

できれば、自分の舟を強くしたい、と誰もが思います。だからこそ、子どもたちは、「がんばれ」、「修理しなさい」、「補強しなさい」という声に、こたえようとします。でも、嵐の舟は、時に沈没しそうです。

 

子どもがこういう時期にある時、わたしたち大人は、どんなこころがまえでいたらいいのでしょうか。

いろいろあるでしょうが、ひとつだけあげるならば、「修理は港で」という単純な原則を守ることだと思います。そのためには、大人の側に、港に向かって曳航する勇気が求められます。

 

これは、ただのたとえばなしです。ですが、目を閉じると海が見え、そこが嵐であり、その中に小さな舟を見る、という想像力が必要なのです。

 

 

 

「キレるライオン」

 

一頭のライオンがいます。私たちは、快適な住居を用意し、食べ物を豊富に与えます。ライオンは満足します。

ライオンが、何日も、何ヵ月も、あるいは何年も、そういう生活を送ったあとで、私たちはライオンにささやきます。「サぁ、そろそろライオンらしさを見せておくれ」、「草原で狩りをして、野生の力を見せておくれ」、「さぁ、早く」、「さぁ」。

でも、満腹しているライオンは、たぶん、私たちの言葉を無視するだろうと思うのです。「よし、わかった」とすぐ狩りに行くようじゃ、なんだか自然の掟というものに反している気がします。

無視するライオンに、私たちは要求を続けます。根気よく、耳元で言葉やさしく。

「さぁ、ライオンの本分を見せておくれ」。

 

やがてライオンがどうするか。

 

少し大風呂敷を広げれば、今の時代、私たちは、ずいぶん難しい位置に立っているのだと思います。

いわば、「キレるライオン」の時代なのです。

 

ライオンが、私たちの言葉にキレないための方法はふたつ。

ひとつは、エサをやらないこと。そうすれば、わざわざ人から狩りに行けと言われなくても、よしんば禁止されたとしても、キレずに獲物を狩りに行くにきまっています。

もうひとつは、ライオン自身も今までに経験したことのない、全く新しいライオンとしての生き方を私たちが認めて、狩りをすることを求めないことです。

豊かさを与えるのなら、野生の力を求めない。野生の力を発揮してほしいのなら、豊かさを与えない。

 

しかし、私たちは、ふたつを求めています。豊かさと、野生の力と。しかも、キレるライオンを恐れながら。

 

テレビで、「ムカつき、キレる今の子どもたち」、と聞くたびに、こういうことを思います。

 

 

 

 

「美しい父親」

 

もうかなり長い期間、世の父親の評判はあまりよくありません。やれ最近の父親は軟弱だ、やれ父親不在だ、やれ父権喪失の時代だ、という具合です。

 

「父親喪失」については、もう何十年も前に、ミッチャリッヒという人が次のように指摘しています。

《かつては、父と子はともに働く場があり、子どもは、父親が働いていることが自分たちの生活や学校に行けることに直接つながっていることを、理屈抜きに学ぶことができた。

しかし、現代の労働形態の変化によって、住居と働く場所の分離、抽象的な労働の増加、分業化などが、父親の働く姿を隠してしまった。そしてこの現象が、現代文明の構造そのものに根差していて、個々の父親の意志とはかかわりなく進展するところに深刻な問題かある。》

 

人間は、真剣に働いているときが一番美しいのだとすれば、今の子どもたちの多くは、「美しい父親」を見ることがなくなって、仕事を終えて帰宅した、疲れた(美しくない)父親の姿ばかりを見ているかもしれません。

そこには、休日に、できるだけ子どもと一緒に遊ぶ、ということでは解決しない問題が横たわっています。古くから言われている、「子どもは親の背中を見て育つ」、という言葉が、問題の所在を示しているように思われます。

休日のキャッチボールや、父親の役割を意識しての家庭の中での厳しさや強さの発揮は、たぶん、父親の正面の顔なのでしょう。背中は、納得できないこととの折り合いのつけ方だとか、不条理の受け入れ方などといったことを無言で教えてくれます。

懇切丁寧な言葉の説明では、どうしても教えられないことがあります。

 

どのようにして、「美しい父親」を子どもたちに見せるか。

父親のみならず、それは母親にとっても、あるいは学校の先生方にとっても、現代の子どもたちの心の成長のための一つの視点です。

 

 

 

「正しい食卓」

 

中学生の男の子をもつお母さんから「うちの子は、最近、とても不機嫌で、疲れているようです。話しかけてもろくろく返事もないし、はてはウルサイ!と怒鳴るしまつです。よっぽど学校がストレスなのでしょうか。こういう場合、親はどうしてあげればよいのでしょう」と尋ねられました。

 

くわしいことはわかりません。学校の内外で様々なことがあるのだろうと思います。原因を見つけて解決できれば一番いいのでしょうが、本人にいくら聞いても、とりつくしまがないようなのです。

しかも、わけもなくただただ不機嫌ということだって大いにありえそうです。

こうなるとお母さんとしては、原因の探求型解決ではない解決手段をとるしかありません。え?そんな方法があるのか?あるのです。

 

思い出して下さい。まだ私たちが中学生だった頃。学校でイヤなことがあって家に帰ると、夕食のテーブルの上に、大嫌いな魚の煮付け(もちろん、あなたの場合は、あなたの一番嫌いな料理におきかえなければいけません)がドーンとおかれてあった日のことを。もう、何というか、行き場のない腹立ちが爆発して、不機嫌度三倍増でしたよね。責められるいわれのない母親に思いっきり八つ当たりしたものです。

反対に、好物が出ていると、おっ、今日はカレーライスだ!と、嬉しくなり、学校でのイヤなことが薄められて、その日は、結局終わりよければすべてよし、という一日になったことも多かったように思います。

 

お母さん方は、子どもさんの中に貯まり始めたストレスや疲れや不機嫌や悲しみや怒りを見つけたら、夕食に何日か、カレーライスを続けてあげてください。野菜サラダ抜きの、ラーメンのおまけがついたスペシャルカレーセットならもっといいな。たぶん、どんな立派なアドバイスよりも有効です。

 

身体や脳に良い、栄養学的に正しいバランスのとれた食事よりも、正しくない食卓のほうが心にはいい、なんて、なんだか救われる話でしょう?

 

 

 

 

「少女A」

 

お母さんは、なぜ私を産んだりしたのだろう。何のために私は生きる必要があるのだろう。規則を守ったり勉強したりすることで用意されるであろう未来は、私には想像もつかないし、いらない。誰も信じないし、信じるということがどんなことかわからない。だから、学校の先生とはケンカばかり。クラスメートからは宇宙人と言われる。

 

わけあっておじいちゃんと2人暮らしだったA子さんは、施設に入所することになりました。もはや大人の手に負えないというわけです。施設に入ってからも様々なトラブルが続出します。周囲の人はヘトヘトです。A子さんは未来を失くしていますから、「将来のために」というどんな指導や助言や優しさも、すべて空振りです。

 

やむなく、A子さんの受け持ちの職員は、「未来」とか「勉強」とか「積み重ねの努力」といった事柄を一切棚上げして、その日その日、瞬間瞬間にひたすらつき合うことに決めました。もうすりきれたからです。

そうしたからといって平穏な日々が訪れるといったわけではありません。新たな困難の連続です。どの問題も、時間と労力を要する、正解のないものばかりです。一口につき合うと言っても、休み用のプログラムを作って、それにそって生活するという単純な話ではないのですから、正直、全てを投げ出したくなったり、本当にこのままでいいのだろうかと自信をなくしたりするのです。A子さんの未来は、ますます見えなくなっているかのようです。

 

そういう中でも、毎日、食事はしなければなりません。昼食は、施設に残った数人の子ども達と職員だけです。毎日自分たちで作ります。

A子さんは、今日はお好み焼きが食べたいと言い出します。ま、それでもいいかと思って、一緒に買い物に行き、一緒に作ります。見かけは悪くてもけっこうおいしかったりします。A子さんは、人の苦労もしらないで、明日はたこ焼きがいいと言います。そうね、たこ焼きにしようか。じゃああさってはホットドッグ。うんうん、そうね。

 

そういうやりとりの中で、まるで奇跡のように、小さな未来が復活していきます。

「明日××が食べたい」という、ささやかな、しかし確固とした未来が。

 

 

 

「ギリギリ」

 

ある肥満の女の子が極端なダイエットを始めました。2ケ月で   15kgやせるのだと言います。そのためには水しか飲まないと決めたというのです。はや1ケ月が過ぎ、7kgやせました。ほとんど水分しか口にしない1ケ月でした。

親や学校の先生はとても心配して、様々なアドバイスをします。「少しくらい太っていても大丈夫さ」、「今のやり方では身体がまいって重い病気になるよ」、「ゆっくりやせないと反動がくるって言うよ」、「食べながらやせるという方法が一番だよ」等々。どれもが正しいアドバイスです。

しかし、女の子は強く反発します。私にはもうこのやり方しかないのだと言い、15kgやせることができるかどうかに自分を賭けていると言うのです。なんとまぁ自分をギリギリまで追い込んだ賭けだろうと、その後のなさが、まわりを一層不安にします。

 

緊急な医学的介入を要する事態ではないと仮定して、今のこの女の子に伝えうる言葉があるでしょうか。

 

正解などあるわけもないのですが、1つの考えとして、大人の正直ないくつかの気持ちを、スマートに整理された正しいアドバイスに変えないで、矛盾は矛盾のままでそのまま伝えてみるという方法があります。

この場面で言えば、「今のやり方をとても心配している」という気持ちと、「15kgの減量をぜひ成功してほしいと祈るように思っている」という2つの気持ちを、どちらも必死で伝えるのです。

心配している。でも達成してほしい。でも心配している。でも達成してほしい。でも…と伝える、そこに、共感という困難な花が開く素地が生まれるかもしれない、と考えるのは楽観的すぎるでしょうか。

 

続けて、「今のあなたのやり方で本当に困って、どうしてもダメだと思った時は、必ず助けを求めておくれ。それだけがたった1つの約束」と、指切りをしたい気がします。

女の子のギリギリの思いに重ねるつもりの、だからどうしてもゆずれないギリギリの指切りです。

 

 

 

 

「夢のモデル」

 

父親モデル・母親モデルという言葉に代表されるような、子どもが育つ上で必要なモデル、という考えは昔からあるものです。

 

では、モデル役であろう私たち大人は、今の子どもだちからどのように見えているのでしょうか。

たぶん、小学生のある年齢以上の子どもたちは、大人をゲームで言えば「あがった」人間、もはや固まってその先はない人たちと見ているだろうと思います。

わが家の子どもたちも、4?5歳くらいまでは、お父さんは大きくなったら何になるのかと、大まじめに質問してくれていましたが、どの子もいつのまかそういう問いかけをしなくなりました。お父さんはもう大人になっているのだから、今後何かになるということはないと知ったということでしょう。

うーん。大人としてはちょっとおもしろくない。

それから、たとえば七夕の短冊の願い事に、大いに迷ったあげく、「まとまった休みがほしい」とか、「温泉の切符がほしい」などと書くときに思うのです子どもから見ると、大人はもうたいした夢をみないと思われているだろうな、大人って、つまりそういうもんさ、とたかをくくられているだろうなと思うのです。

 

私たち大人の大切な役割の1つは、こういう子どもたちの予想を裏切ってあげることにあると思います。現実にどっぷりはまった生活に立った上で、夢をみてみせる。それは、テレビのヒーローやスターが語る夢とは、また一味違う、「夢をみる大人」のモデルです。そのことが子どもたちにかっこよく見えたら、(今も昔も若者がひかれるものは性的なものを別にすればかっこよさですから)、それは見事な大人のモデルだと思うのです。

 

今年、短冊に向かうときに、ひとつ問いかけてみましょう。

本当に本当なのか。これがこの私の夢であり願い事なのか。本当にそうなのか。これまでの、そしてこれからの生涯をかけた願いなのか、と。

大げさだけれど。

 

 

「世代間伝達」

 

「ほめて育てよう」という言葉に異論のある人は少なかろうと思います。

ですが、いざほめようとすると、意外に難しいものですよね。とってつけたような下心見え見えのほめ方になってしまったり、ほめたくてほめたくてたまらないのに、ちっともほめるに値することをしてくれなかったり。

 

そこで、今回は皆さんにお願いをしようと思います。ぜひ、ほめてほしいことが2つあるのです。特に、ものごころつく頃から思春期にいたる頃までの子どもたちに。と言うのも、思春期になってからでは、たぶん、ほめ方はもっと難しくなってしまいそうだからです。

さて2つ。1つめは「人格にかかわる言葉」でほめるということです。優しい、強い、思いやりがある、勇気がある、ひとりぽっちの人の味方だ等々。自分の好きな人(親とか先生とか)から、人格をほめられる経験はとても大切です。

誰もが弱いと思い、本人さえも自分はどうせ弱いと思っている子がいたとして、ぜひ「人がなんと言おうと、私はあなたは本当の本当は強い子だと思っている」とほめてほしいと思います。

その言葉は、その子の心に残り、やがてもっとも困難な場面でその子を支えるかもしれません。

2つめは「身体」です。小さい子にとって、身体こそは自分そのものです。どうかたっぷりと、本気でほめてあげて下さい。

きれいな指をしている、美しい髪がある、目の形がいい、二の腕の筋肉がすばらしい。

ガリガリにやせた子に風呂場でガッツポーズをさせて「すばらしい体をしているねー」と感心して下さい。男の子がお父さんから、強くすばらしい体だとほめられる、これ以上の栄光があるでしょうか。

 

この2つのほめ方に共通するのは、何もいいことをしていないのにほめられる、と言うことです。損得抜き。ただここに存在するというだけでほめられるという経験なのです。

思春期は、身体と人格にまつわる劣等感を過剰に抱きやすい時期です。だからこそのお願いでもあるのです。

 

それからもうひとつ大切なことがあります。それは、このようにほめられたうれしい経験は、必ずマネされるものだということです。大人になった時に必ずマネをします。うれしかったからです。だから自分の子にも同じようにほめてあげたくなるのです。

こうやって、ほめ方は引き継がれていくことになります。

どうほめるか、それは大人の大切な役目です。

 

 

 

 

「人生で一番つらい夜」

 

精神障害を持つ人たちが地域で暮らすためには、どうしたらいいか、という講演会やシンポジウムが、毎年どこかで開かれています。

10年前も開かれていましたし、20年前にも開かれていたでしょう。

ということは、21世紀になった今もなお、私とあなたは(どちらが障害をかかえているにせよ)ともに暮らせていない、ということになります。

ともに暮らす、という言葉はとてもあいまいですから、それぞれの人がこの言葉に求めるものや、抱<イメージが違うのは当たり前です。

あたたかい、ほのぼのとした、人の優しさや人情の中で生きていくのは幸せだろうなと思います。時々でいいから、そういう幸せが手に入る生活は、私にとってもあなたにとってもかなえたい一つの夢です。

 

そして、精神に障害を持つ本人さんやご家族の立場にたつと、その第一歩として、ぜひ地域にほしいものがあります。

それは、まさかの時に頼りになる、病院ではない、24時間いつでも利用できる場所です。気兼ねなく利用でき、とても役に立つ場所。つまり建物や人です。

もし、そういう場所がなかったら(ないんですけどね)、家族の誰かが精神的にひど<調子を崩した夜、家族は心細い、不安の、あるいは絶望の夜を過ごすことになります。

大声が近所の人の迷感にならないだろうかと心がつぶれる夜。病院に連絡しても月曜日の10時まで待ってくれと言われる助けのない夜。外に出て行こうとするのを力ずくで押しとどめる夜。

それは、人生で一番つらい夜です。

その夜に、私たちは、たぶん冷たいのです。

重ねて、もし、上記のような場所があり、朝まで職員が、調子を崩している本人さんや家族と一緒にすごしてくれたら、そしてたとえば大声を出しても周囲の人に気兼ねしなくてよいのなら、どれほど安心できることで
しょう。

 

皆さんの近所に、こういう小さな施設ができることは反対ですか?

思い切ってしていただく賛成は、私やあなたが、形は違えど過ごしたことのある、あの、人生で一番つらかった夜を支える賛成です。

 

「黄金の髪」

 

乳幼児ではほとんど問題にならない、大人でもあまり問題にならない、しかし思春期の子どもたちにおいては、時としておおいに問題となることがらに、服装・頭髪があります。大人の目から見れば、服装・頭髪は「身だしなみ」の対象です。学校などでは、指導・取り締まりの対象でさえあります。

 

では、思春期の子どもたち自身にとって、服装・頭髪にはいったいどんな意味があるのでしようか。

 

思春期は身体の成長が急激に進む時期ですから、私たちの目も、変化の方ぱかりに注がれがちです。しかし、思春期の特徴は、変化だけにあるのではありません。むしろ、変化に引き続いておとずれる、変化の終結・固定の中にこそ思春期の意味があるといってもいいほどです。

子どもたちには、変化の方向や終わり方への選択権はありません。固まりつつある自分の身体的特徴を、希望や意思や努力の届かない運命として引き受けていくほかに、大人になる道はないのです。

運命だ、なんて割り切れないから辛いんですけどね。

 

ある少年は、背が高いという特徴を持ち、ある少年は背が低いという特徴を持ちます。もはや小学生の頃と違い、「そのうち大きくなるさ」ですまされる時期を通り過ぎつつあるのが思春期です。どの身体で大人を(つまり、これからの人生を)生きるのかが、はっきりと胸元につきつけられます。

この時期の子どもたちにとって、背が高い・低い、色が黒い・白い、二キビが多い・少ない、鼻が高い・低い、体毛が濃い・薄いなどといった身体的特徴が、単に身体的問題にとどまらず、実は大きな心理的意味を持つのだということを、大人の私たちは忘れてはなりません。鼻の低い人は、鼻の高い人よりも、人格的にも自分が劣っているかのように感じてしまうかもしれないのです。

 

「たかが鼻の高さてはないか。誠実で心の美しいことに比べればとるに足らないことではないか」という大人のなぐさめや励ましの言葉は、なかなか子どもたちの心には届きません。そういう心境に達するまでには、あと何年も自分をつくるための試行錯誤と、何らかのあきらめが必要なのです。

 

今の自分の身体、今の自分の境遇、今の自分に対する周囲の評価などを受け入れがたく感じている子どもたちの一部にとって、服装やヘアースタイルは、「負けるもんか」という自分を主張する自分の代表です。負けつづける自分を守る最後の砦といった見方もできます。そこにだけは、自分の意志が入り込む余地があるというわけです。よりよい自分になりたいという意思です。

 

どうかみなさん、街角で、学校で、家庭で、大人の目からは問題の服装や頭髪に出会った時は、(必要があって注意や指導をするとしても)その一点だけに象徴的に現れたその子の、大人になるためのあえぎと、現実に押しつぶされまいとする不屈の魂とを読み取ってください。そして、心の中で「お前さんも苦労してるなあ」、「負けるな」、「がんばれよ」と言ってほしいと思います。

もちろん、こんな言葉は声にしないのがコツですからね。

 

「幸せの三つの形」

 

子どもが一通りでないように、もちろん大人は一通りではない。一人一人が考える幸せの形も違う。だから、大人の数だけ幸せの形はあるはず。

そうなら、私に、幸せのたくさんの形を教えてください。私は、もうすぐ高校を卒業します。でも、それから先、自分が幸せになれるのかどうか、あまりうまくイメージできないのです。親や学校の先生は、迷わずにとりあえず大学に行っておきなさいと言います。

それが幸せになる道なのか、ただ不幸せにならないための道なのか、よくわかりません。今さらこんなことをにすると、心配をかけそうだし、クラスの友達から暗いとか言われそうだから、誰にも話しません。話さないのだけれど、話さなくてもすむかたちで、私に、幸せについて教えてほしいのです。

 

私は、お母さんやお父さんや先生方は幸せなのだろうかと時々考えます。なぜって、ごめんなさい、あまり楽しそうには見えないからです。いつも疲れたような顔をしているし、怒ったようにもみえます。自分の幸せはあるのですか?ありますよね。絶対あるに決まっていますよね。私にそれを教えて下さい。

 

私たちが、卒業の時に文集を作るように、PTAの父兄の皆さんや先生方が私たちのために文集を作って下さったらな、と思います。

タイトルは、「私の3つの幸せ」。

ひとつだと、たてまえ的なおりこうさんの幸せの話になってしまいそうだし、2つだと、1つ目の幸せを裏返しにしただけになってしまうかもれないので、かならず3つ書いてください。私たちによかれという幸せではなくて、ご自分にとって、これが幸せと思う本当の3つを、ぜひ教えてください。

 

校長先生や、進路指導の先生や生活指導の先生。それから話をしたこともない先生方。A君のお父さんやBさんのお母さん。そして私の父や母は、どんなことを幸せと考えているのだろう。どんな幸せの形を抱いているのだろう。

 

私は、しばらくその多様な形を、ゆっくりながめていたい。時々引っ張り出してきて、何度でも読み返してみたい。

そうやって大人になりたい。

 

 

 

 

 

長崎大学医学部精神神経科同門会の会誌に寄稿したものです。

プライバシーを保つための修正・一部変更を行っています。

 

 

「精神科の光」       2001年

 

 

「私のすべては他人の言葉でできている」と、劇作家のサミュエル・ベケットは言っています。

その言葉になぞらえて、退局の送別会の挨拶で、精神科医の自分を作った他人(先輩や同輩です)の言葉をお話しさせていただいたことがあります。今回、同門会誌に何か原稿をということで、再度ご紹介してみることにしました。

行動もまた言葉だ、と考えて、在局の前後に見聞きした先生方の言葉、姿をご紹介することになります。

当然のことながら、人の記憶は勝手なものですから、ご紹介する言葉、姿は、年月の中で何回も磨きをかけられ、形を変えていることと思います。また、ここで言うところの他人のお名前を、どうするか迷ったのですが、内々の会誌ですし、ええい、ままよと、実名とさせていただきました。お許し下さい。

 

学3だったか学4だったか忘れてしまいましたが、精神科の病棟ポリクリで、診察室に集められた僕たちのグループの一人が、「ミノナルキー」を描いてみろと全く唐突に言われたことがあります。

かつて、解剖の実習中に、指導にまわってきた教授から「ムスクルス・ズカレヌス・アンテリオールはガンツノルマルですか」と質問されて、一斉に頚部のガンツノルマルなる筋肉を探したことのある僕たちですから、「ミノナルキーを描け」と言われて、心底ドキッとしたことを覚えています。

基本的なことすら勉強していないという負い目が、心を弱くし、浮き足立たせ、「ミノナルキー」が「実のなる木」のことだなどと思いもつかないのでした。                    

そういう僕たちの動揺を知ってか知らずか、ポリクリ担当の医師は、その日の実習の終わりに、独特のイントネーションでこう言いました。「あんたがたは、これだけは覚えとってくれんね。あんたがたがやがて医者になる。そして患者さんを受け持つ。医者も人間だから、患者さんに対して、この人嫌だなとか、苦手だなとか、もう治らないだろうなとか、様々な気持ちをいだく。そういうあんたがたの気持ちは、相手の患者さんに必ず伝わる。 百パーセント伝わる。あんたがたはこのことをぜがひでも覚えとってください」

立場の強い人の、弱い人に対するマイナスの(すべての、と言った方が正確でしょうか)気持ちは、どんなに隠しても百パーセント相手に伝わる、というのです。

だから医者は、患者にマイナスの気持ちをいだいてはいけない、という話ではありません。このことを、よく知っておけ、という話です。

主治医と患者さんとの間にトラブルが生じたときに、あるいは患者さんがなかなか(治ってもいいはずなのに)治らないといった事態にぶつかったときに、もし僕が、自分のマイナスの気持ちを隠し通せていると思っていたら、そのトラブルの原因は、必ずといっていいほど相手のせいになってしまいます。嫌だなという気持ちを抑えて献身的に接しているのにこの人はなんだ、というふうに。

ところが、自分の気持ちが百パーセント伝わるということを知っておけば、トラブルの原因を、このきらいだな、苦手だなという自分の気持ちが患者さんに伝わっているせいかもしれない、と、相手と自分の双方の問題として考えることができます。

つまり、知っておくのと知らないのとでは、トラブルの解決のための工夫の方向がまったく違ってしまうことになります。

独特のイントネーション。入局したときには既にいらっしゃらなかったし、直接話をしたこともないのですが、川○先生の、学生に対する言葉は、精神科医の僕の一部を形作ったと思います。

 

続いては、これは学4の精神科外来ポリクリの話です。

あるタクシーの運転手をしているという中年の男性の予診をとったときのことです。実習ですから、最後は自分たちで診断をつけ、その根拠となる所見を書いて新患診察医に提出しなくてはなりません。

例のごとく、ろくろく勉強もしないで実習にのぞんでいますので、いきおい、ただただ自分たちの常識だけをものさしに、患者さんのアナムネをとることになってしまいます。

で、そのタクシーの運転手さんですが、どう話を聞いても、正常としか思えないのです。

精神科を受診して、あなたは正常ですよ、と言われるとホッとするだろうなという考えも手伝って(と言うときこえはいいのですが、要するに正常か異常かというものさしでしか人をみることができなかったということですよね)、けっこう胸を張って、正常という診断を書いて出しました。

新患診察医は太○先生でしたが、こっぴどく叱られたことを覚えています。精神科を受診するということは大変なことなのだ、よほどの決心があってようやくこの場にいるのだ、それを簡単に正常とは何事か、といった内容だったと思います。

タクシーの運転手さんは、結局うつ病という診断でした。当時は、なんだか納得できなくて、太○先生の患者さんへの質問が、うつ病という診断のための言わば誘導尋問のように見えて仕方がありませんでした。

患者さんのあいまいな答えは、正常の証拠としては一つとして採用されず、すべて都合よくうつ病の証拠としてのみに使われているかのようでした。

後で僕たちがブツブツ文句を言っていると、その日の予診医で、勉強をしていない者の先輩である(ごめんなさい)澤○先生が、一言、「あんたらの方が正しい」と耳打ちしてくれたのも、鮮やかな記憶です。

不思議なところだなという印象、太○先生の言葉や澤○先生の言葉、それらはことごとく精神科の魅力をなしていたと思います。

太○先生といえば、やはり外来ポリクリのときに、数ある診療科の中で、患者さんの不安が最も大きいのが精神科ですよ話して下さったのが、心に残っています。へぇ、そんなものなのか、と感じました。医者の仕事の大切な一つは、不安な患者さんのそばに一刻も早く行ってあげることだというような文脈の中で話されたのだったと思います。

たとえば目が見えなくなる不安、ガンの不安、痛みの不安、それぞれは軽重を比べようもない性質のものではありますが、しかし、その中でも最も精神科における不安が大きいのだと、それをまだ学生のときに聞くことができたことに、個人的には意味がありました。

 

卒業を前に、精神科にそのまま入局すべきか、他科を経験してから入局した方がよいか、しばらく迷いました。他科でたくさんの患者さんに接してからの方が、精神科の患者さんをより理解できるようになるのではないかと思ったのです。ここにも、当時の、正常と異常という区切り方が顔を出しています。

ムツゴロウさんこと作家の畑正憲が、いのちというものは、外科手術で胸部を切り開き心臓をわしづかみにする、そういう中からでしか、本当には理解できないのではないか、と書いていたことも頭の中にひっかかっていました。

そこで、同じ年の1月に精神科に入局されていた健○郎先生に相談に行きました。健○郎先生には、僕たち学生有志がフランス語を習っていたので面識があったのです。それにしても、語学嫌いの僕がなぜフランス語を習うなどというはめになったのか、まったく思い出せません。どうせ、人間関係で断れなかったのでしょう。すべては忘れ去り、残っているフレーズは一つだけです。ヌナヴィトーンパザリィオーンメアパリー…。 

さて、国立大村病院(今は国立長崎医療センターです)で2年間のレジデソト修行をした後で精神科に入局した方がいいのではないだろうかと迷っている、という僕の相談に、健○郎先生は、次のように答えてくれました。

「一人の患者さんをきちんとみていけば、すべての面がその人の中に現れる」

その言葉の中にもまた、精神科の魅力があったと思います。

入局したいのですが、と教授室を訪ねると、中根教授がおられ、どういうことをしたいと思っていますか、と問われました。子どもの精神科をしたい、という僕の答に、中根教授は、ここは自由なところです、何でも好きなこと、やりたいことをやってみて下さい、歓迎しますよ、とおっしゃられました。

自由なところですよという、誇りのような誘い文句の、なんとまぁカッコよかったこと。そのときに感じた安心感、爽快感、嬉しさは、精神科の印象を決定づけ、精神科医としての自分を支える丈夫な土台となったのでした。

 

病棟の教授回診は、研修医にとっては、どうしてもストレスフルなものです。僕たちは、大きな声では言えませんが、受け持ちの患者さんの回診のときに、教授の笑いを一つとることをひそかに目標にしていました。緊張した揚が、小さな笑いで緩和すると、患者さんのみならず、主治医の精神衛生にもとってもよかったのです。

ただ、笑いをとるなどということには、天性のものがモノをいうところがあって、上手なのは同期の立○先生でした。おかげでずいぶん恩恵にあずかったものです。ありがとう。

しかし、そういう小細工抜きの直球勝負(ま、教授回診に勝つも負けるもないんですけどね)をしていたのが、先輩の柴○先生です。柴○先生は一言しか言いません。「今、治療中です」、これだけです。中根教授も「うむ」と答えて、おもむろに患者さんと話を始められる。阿吽の呼吸というのでしょうか、うらやましくも指をくわえておりました。

 

コミュニケーションの手段が(おそらく)閉ざされている、植物状態の患者さんの受け持ち医たった健○郎先生の(何度も名前を出してごめんなさい、これ限りですから)、とても忘れ難い姿があります。

暑い夏の日でした。精神科病棟の中庭で、健○郎先生は、何かを洗っていました。何だろうとのぞいてみると、人形の服でした。それは、植物状態の患者さんの枕元に長い間ずっと置かれてあったお人形さんのものです。ちょっと汚れとったし、することもないから、と健○郎先生はこともなげに言いました。

とっさに、もし自分が受け持っていたら、僕は洗っただろうか、そもそも人形の服を洗うということで、コミュニケーションをとるなどということを考えつくだろうかと、自問したように思います。今ならします。あの光景を見たことがあるからです。しかし、見ていなかったらどうだろうか、と考えるのです。けしてかなわないので、近づこうと努力するのみです。あまり努力していませんが。 

その日、看護室で、看護婦さんたちが、「わたしたち、負けてるよね?」と話していたことも思い出します。

 

子どもの精神科をしたい。したいしたいと言っていると不思議と子どもの患者さんを受け持ったりするもので、研修医2年目に小6の統合失調症の男の子の主治医となりました。

やがてその男の子は、有名なローレソツの刷り込みの話のように、しじゅう僕のあとをくっついてまわるようになりました。朝の申し送りの間じゅう看護室のガラス窓にはりつくようにして僕を見ていた顔。申し送りが終わるや否や看護室に入ってきて僕のそばに座った姿。食事を前に、自らは動き始めることができず、僕の指す順番どおりに(味わって食べる、のではなく)とにかく口の中へかき込んでいた必死さ。他の患者さんの診察中にも、診察室に入ってきて、この子なら仕方がないと、それらの患者さんたちが当たり前のことのように受け入れてくれていた同席診療。様々な場面の幼い姿が思い浮かびます。無言、恐怖、心細さ、混乱、空笑、ご両親の気持ちもひしひしと伝わってきていましたし、なんとかしようと一生懸命でした。

しかし、薬物療法の効果ははかばかしくなく、精神症状の改善が困難な中では、いったい何を治療の目標にすればよいのだろうかと、考えざるをえない毎日でした。

そして、その頃考えていた目標はといえば、今後、この子が生きていく中で、不安なとき、怖いとき、困ったときに、他者に助けを求めるようになってほしいということでした。最後の最後に「助けて!」と言える能力だけはなんとしても身につけてほしいと思いました。だって、そうでなければ、孤立してひとり恐怖の中にいつづけることになってしまいますからね。

その目標のために、1日1回は必ず、その男の子に顔を見せようと決めていました。初発のこの時期が最も大切なのではないか、という気負いもありました。根拠なしに、365日のそういう積み重ねが、他者への信頼というもののベースになるのではないか、と考えていたのです。ノーエビデンスもいいところですが。

土日はもちろん、パートに行ってそのまま当直入りする時も、夕方いったん大学に戻っては顔を見せる、などということをしていました。当時は、N病院にパートに行っていたのですが、こういう研修医のわがままをN先生は、みじんも思着せがましくなく、見事にさらりと許して下さっていました。この場を借りてお礼を中し上げます。

その頃は、自分の行動が及ぼす、他の主治医の受け持ち患者さんへの影響だとか、病棟全体の治療への影響に対する配慮など、まったく考えてもいませんでした。あまりかかわり過ぎるのではないか、そのためにかえって患者さんが落ち着かないという面があるのではないか等々のアドバイスにも、素直に耳を傾けてはいなかったと思います。

そういう時期に、杉○先生が、次のようなことを言って下さいました。「若い研修医の時にしか治せない病態もあるものだ。経験をつんで先が見えてくるようになるともう治せないが、今のあなたたちなら治せる、そういうことがあるものよ」と。

どれほど、この言葉が当時の自分を支えてくれたことか。ありかたい、後輩への優しい言葉だったと思います。いつか、時がきて、自分もまた誰かに言ってあげたくなるような。

 

さてさて、この手の話は、思い出しはじめるとキリがなくなりますから、最後にもう一つだけご紹介して終わりにしたいと思います。

入局4年目に、関東中央病院の小倉清先生のもとに児童精神医学の研修に行き、その縁で入局5年目には、静岡県の国立療養所天竜病院の児童・思春期病棟に勤務することになりました。

それまで勤めていた2人の児童精神科医が急に辞めることになったために、病棟が在亡の危機にあるという事情でした。約60人の小?高校生の入院患者と、外来及び院内のリエゾンを一人でみるという仕事です。

着任後に、中根教授がA病院長と会って下さいました。中根教授は何にもおっしゃりませんでしたが、A病院長によれば、そのとき中根教授は「(松本を)消耗させないで下さい。大事にして下さい」と言って下さったとのことでした。感謝の言葉も伝えませんでしたが、しみじみと、嬉しかったことを覚えています。

天竜病院での1年間、僕は消耗したでしょうか。普通の小児科病棟という構造でしたから、大小合わせてのべ80人の離院への対応にも追われました。重心病棟、結核病棟にも精神科医の役割が求められました。内科系外科系あわせて一人という当直体制の負担もありました。しかし、入局の前に思い描いていたイメージどおりの子どもの精神科がそこにはあったように思います。

送別会の日、病棟婦長が病院から叱られるのを覚悟で、児童・思春期病棟の入院患者全員を外泊に出し、夕方から病棟を閉鎖しました。スタッフ全員が参加してくれるという、それが1年間の、夢のようなご褒美でした。

 

精神科医の自分を作ってきた先輩や同僚の数々の言葉や姿。これらの一つ一つが、後輩の先生方にとって、精神科の光のようなものであればいいな、と思います。

 

 

 

 

保健室の先生方を対象に行った講演の記録です。

 

 

「教室と家庭のあいだ」    1992年

 

 

僕が小学生の頃、保健室の先生はたしか白衣を着ていたように思います。ひょっとすると思い違いかもしれないのですが、記憶の中の保健室の先生は必ず白衣姿です。残念なことに、おそらく美しかったであろう保健室の先生の顔はまったく覚えていずに、ただただ白衣姿しか思い出さないとは、いったいどういうことなのでしょう。

当時は、男子生徒が保健室に行くなどということは、学校で不覚にも大のトイレに行ってしまうのと同じくらいに「恥」なことだと僕たちは思っていました。もう、わけのわからぬやせ我慢が男らしいのだと心底信じていましたから、友達の誰かがちょっとしたケガで保健室に行こうものなら、どれほど謂れのない中傷を浴びせたかわかりません。

でも、なぜ、僕や、僕のまわりの連中は保健室に行くことをそんなに恥ずかしがったのでしょう。保健室が嫌いだったのでしょうか。

保健室から連想するものといえば、「白衣」、「女の先生」、「注射」、「秘密」、「病院」、「人体模型」、「消毒の臭い」、「身体測定」、「女の子」、「ちょっとエッチな雰囲気」などなどがあります。

それらのイメージに、いったいどんな意味があるのだろうかと考えてみることは、不登校をめぐって、保健室の見直しが言われる今、すこしく私達に、新たな視点を提供してくれるかもしれません。

成功するかどうかわかりませんが、今日のお話は、「白衣」の持つ意味からはじめて、保健室の先生の役割・力という話にたどりつけたらいいなと思います。

 

僕が精神科に入局した頃、先輩の3割ぐらいの人たちは、白衣を着ていませんでした。誰が医者で誰が患者さんなのか、新人の僕たちにはにわかに判別しがたかったことを覚えています。

つまり、白衣には、みためを医者らしくする働きがあることがわかります。

「外見で人を判断してはいけない」という真実の声からすれば、みためがどうこうと気にするのはナンセンスと思えます。しかし、ことはそれほど単純ではありません。みためはたいせつなのです。

皆さんも想像してみてください。白衣を着て、いかにも医者らしくみえる医者に診察してもらうのと、白衣も着ずに、いかにもいいかげんな身なりをしている医者(いかんいかん、まるで僕のことではないか)に診察を受けるのと、皆さんならいったいどちらを選ぷでしょうか。

顔見知りでない二人の医者がそこにいたら、まよわず前者を選ぶのが生きる知恵というものです。

ところが、精神科の患者さんや子どもたちは、必ずしも白衣の医者を選びません。むしろ医者くさくない人を選ぶ傾向があります。

大人と子供は一見、違う基準で医者を選んでいるかのようです。でも、本当は同じ基準で選んでいるのです。その基準の名前は、「安心」といいます。

 

精神科で(小児科も同じ事情でしょうか)白衣を着るか着ないかということが問題になるのは、あまりに不安いっばいで来院する人が多いので、細部にさえ気を配って、せめてものささやかな安心を与える努力が不可欠という事情によります。

白衣を着ることが相手に安心を与えそうなら白衣を着るし、白衣を着ないことが安心を与えそうなら着ない、というわけです。

 

少し、格好いいことを述べ過ぎました。実は、「安心」は、精神科医自身にも必要です。

新人の頃、自分よりはるかに年令が上の患者さんや、その家族と(正直に言えばことに家族の場合に)面接をする時、気後れを感じたものです。

僕たちは若造であり、経験も浅い。家族に、自分がどう映っているか、内心、不安だらけでした。せめて、みためなりとも医者らしく、いくらか権威のある人間に見えるようにと、白衣を着たものでした。白衣は、着る側にも安心を与えてくれたのです。

着る必要があるときは着る、着ない必要があるときは着ない、というふうに、「白衣」から真に自由になったのは、ずいぶんあとの話です。

途中、絶対に白衣は着ないという時期もありました。その頃もやはり、結局はみためにとらわれていたのですね。

 

精神科医というのは、ほかの科の医者に比べて、医者としてのアイデンティティが持ちにくいと言われます。そのために、時々白衣のお助けを借りなければならないほどです。

しかし、そのアイデンティティの持ちにくさが、実は、治療において大切だし、役立つのだと言われたりもするからややこしい。

 

さて、小学校時代の記憶の中の保健室の先生が、白衣姿だったということと、精神科医が医療の世界の中でアイデンティティが持ちにくいのだということ、この二つを強引に結びつけると、どんな結論になるでしょう。

それは、学校という世界における保健室の先生の位置・立場と、医療という世界における精神科医の位置・立場が、とても似ているということです。

すなわち、乱暴に言い切ってしまうなら、保健室の先生方は、学校の先生というアイデンティティを持ちにくい立場にある、といえるのではないでしょうか。

 

そして、もうひとつ、この二人(保健室の先生と精神科医です)に似ているものがあります。もうおわかりですね。不登校の子ども達です。

学校に属していながら、登校できないという状態は、きっと、自分というアイデンティティを揺るがします。

それから、見えにくいけれど、もう-一人だけ、似た立場に置かれている人がいます。それは、自分の子が不登校になってしまったお母さんです。どれほど母親としてのアイデンティティが揺らいでいるかは、想像してみればすぐにわかることです。

 

このように考えてみると、不登校という事態の前に、精神科医はともかくとして、不登校の子どもさん、その母親、保健室の先生(話の都合上、保健室の先生に限定していますが、担任の先生もまた似た立場にあります)は、それぞれの立場で似たような状況にあることがわかります。

三者は、ともにアイデンティティの確立という課題を背負わされるごとになります。

 

思い出してください。精神科の患者さんや子どもたちは、医者くさくない医者を選ぶ傾向があると言いました。その方が安心するからだとも言いました。もう少し言い方を変えれば、本当に不安なときに人は、自分に少しでも似た人、近い人を無意識に選ぶものなのかもしれません。

精神科の患者さんたちは、れっきとした身体の病気の人と比べて病気であるというアイデンティティを持ちにくい人たちですし、子どもたちは、まだ自分というアイデンティティを作っている最中です。

だからこそ、医者というアイデンティティの少なそうな、医者くさくない医者を選ぶのだと考えることもできます。

 

ならば、不登校の子どもたちは、誰を選ぼうとするでしょうか。

ずいぶん、まわりくどい話をしてきましたが、ようやく、本論にたどりついたようです。心細く、不安な子は、学校において、先生くさくない先生を、無意識に選ぼうとしがちなのです。より現状に合わせた言い方をするなら、不登校の子どもは、教師として自信満々の先生を選んでくれません。自信に満ちた顔だけで近づくと、関係作りの糸口さえつかめないことも多いような気がします。

 

僕が、静岡の国立病院の児童・思春期病棟に勤務していたときの、ある女の子のことが思い出されます。

お母さんの話によれば、その女の子、Aさんは、小学校5年生のとき、次のような体験をしたそうです。

もともとAさんは、おとなしい、どこかさびしげな子どもでした。帰宅してから、学校の話をすることもほとんどありませんでした。お母さんは、何かのときに、放課後、ぽつんとひとりで運動場に立っていたAさんの姿を、印象に残ることのひとつとして覚えていると語りました。

小学校5年生になって、Aさんのクラスの担任の先生が産休で交代することになりました。新しく、臨時採用のB先生が担任になりました。そこで、Aさんに変化が起こったというのです。

それまで、学校の先生が話題にのぼることなど全くなかったのに、B先生が担任になってからというもの、Aさんの口から、B先生の名前が頻繁に聞かれるようになったというのです。

どうやら、Aさんは、B先生が好きになったらしいのですが、その理由が泣かせます。Aさんは、お母さんに、始終、こう語ってきかせたといいます。

「あのね、B先生はね、本当は先生になりたいのに、本当の先生になれない先生なんだよ」

小学校5年生の8ケ月間だけ、Aさんは明るかったそうです。

Aさんが、Aさん自身を、B先生に重ねていたことは明らかです。B先生が、その8ケ月をどんな思いで過ごしたかはわかりません。それは、Aさんに話す必要もないことです。

しかし、B先生の置かれた位置・立場の不安定さだけが、はじめてAさんを励ますことができた、ということも事実です。

不安定さの中で、B先生が途中で投げ出そうとせずに、十分に生きたということがたいせつだったのでしょう。そういうB先生の姿に、自分を重ね合わせることで、Aさんは、無言の、意図されない励ましを受け続けたのでしょう。

 

AさんとB先生の関係から導かれる認識は、きわめて重要です。なぜなら、ここにあげた関係は、まさに、不登校の子どもと保健室の先生との関係と同じだからです。

 

不登校の子が、保健室にやってくる。やがて、保健室に入りびたるようになる。他の先生から「保健室の先生が、少し甘やかしすぎているのではないか」と暗に(あるいは露骨に)言われる。

こうなれば、もともと先生としてのアイデンティティを持ちにくい保健室の先生方は、ますます自分の置かれた位置・立場が不安定になっていくように感じざるを得ません。

学校という世界の中で、不登校の子をかかえたために、困難な立場にたたされることになります。

不登校の子どもたち自身が感じているであろう困難さと、おそらく同じ性質のものです。先生の置かれた立場が困難であればあるほど、子どもの置かれている立場に似てきます。

 

もとより、子どもたちは、自分かどうやって不登校という事態を乗り越えればよいかわかっているはずもありません。その方法は、大人が見せてやるしかないのです。

「私は、私の困難を、逃げずに乗り越えてみようと思うから、よく見ておきなさい。そして、私が乗り越えたなら、あなたも努力してみなさい」

 

不登校の子にかかわる大人が、困難に直面したら、それはチャンスです。子どもは、好きになった人に自分を重ね合わせています。じっと大人を見ています。

大人は、そのことを意識しながら、自分の戦いを始めることになります。それは、まことにエネルギーと覚悟のいる作業です。できることなら、避けて通りたいのが人情でしょうし、避けて通る人が大半です。それは、誰もが自分の人生をたいせつにすべきなので、責められるものではありません。

不登校の援助が錐しいのは、実は、こういった事情が背景にあるからなのです。このために、「パッと治る方法」が、いつまでも求め続けられるということになります。

しかし、あえてしかしと言うならば、アイデンティティの確立に、半分の時間ですむような近道があるわけもないのです。そのような道を通れば、アイデンティティが半分に値切られるだけです。

 

今日のお話は、保健室の先生が、いわゆる学校の先生と少し違った地点に、アイデンティティを確立していく過程そのものが、不登校の子をかかえて援助する際に、最も有効な方法なのですよ、というところに持っていきたかったのですが、なんだか禅問答みたいになってしまいました。

一般論というのは、眉につばをつけて聞くくらいでちょうどいいのですが、そうして聞いて、尚、B先生の役割・力が保健室の先生の役割・力と同じなのだなと思っていただければ、本当に伝えたかったことは伝わったことになります。

そして、「教室と家庭のあいだ」は、禅問答ついでに、皆様が埋めてくだされば、と思います。

 

 

 

 

 

学校の先生方が出されている会誌に載せたコラムです。

 

 

「出すことはいいこと」

 

子どもが育っていく上で、「出すことはいいこと」と思っておくことはとても大切です。しかも、「出す」というときのその中身は、どんなものであれすべて、と心得ておく必要があります。

やさしさ、思いやり、ものごとを最後までやりとげる力、友だちと仲よくする力、遊ぶ力などなどといった、いわゆるいいものだけを出すことが「いいこと」ではないのです。

怒ったきもち、しかえしをしたいきもち、ひとりじめしたいきもち、ねたみ、いじわるなきもち、なまけたりズルをしたいきもちなどなど、人間であれば必ずあってあたりまえです。

 

そういう、いい面もマイナスの面も「どちらも」出すことができるということが、子ども時代の目標のひとつです。

 

何でも受け入れましょう、という話ではありません。大人として、子どもを怒ったり、しつけたり、指導したりしながらも、心の中では、「あ、こういう面も出せてる出せてる」と、出せたことを評価(よろこぶ感じといったほうがいいかもしれません)するきもちを忘れないようにしましょうという話です。

そして、今すぐに、ではなく、やがて大人になるまでの間に、子どもたち自身が経験の中でいろいろ考えて、出し方のコントロールを身につけてくれるといいなあと思います。

 

「出さずにコントロールする」のではなく、「出してコントロールする」ことを目標とするのです。

 

家庭でも学校でも、先にあげたようなマイナスのきもちは、存在してはならないもののようにあつかわれすぎているように感じます。

いい面もマイナス面も、人間として、あってあたりまえのきもちです。それらをのりこなすには、けっこう長い時間がかかるものであり、大人になってからでさえ困難を感じるものなのだと、わたしたちはよく知っているはずです。

 

ある心理療法家が、子どもの成長は、槙物の成長に似ていると言っています。「水や肥料をやりすぎてもやらなくても枯れるし、ある程度大きくなるには、その植物のもっている時間を待たなくてはならない。」

わたしたち大人は、「出すことはいいこと」という目をしばし保ち、子どもたちがゆっくり大人になることを保障したいものです

 

 

 

高校の先生方を対象に行った講演の記録です。

 

 

「そっと助けてください」  2000年

?児童・思春期外来の子どもたち?

 

 

1.はじめに

みなさん、おはようございます。三和中央病院で精神科の医師をしています松本と言います。専門は精神科でして「思春期内科」と紹介してありますが、内科はほとんど知らなくて病院で内科の病気が出たら、「お医者さんを呼ぼう」とついついなってしまって内科の医者を呼んでしまうという状況にあります(笑)。

 

今日は、大した話ではないので肩の力を抜いて聞いていただけたらと思います。いま、○○先生が私の話を三回聴くとおっしやいましたが、同じ話を二回も三回も話すのはものすごく嫌で、つい負けずぎらいな気持ちも出て、今日は違った話をしてやろうかと思ったりもするんですが、人間そうそう違った話もなくて、結局同じ話になるんですけれど、一時間半近く話をしたいと思います。

 

2.放置されたような気持ち

 

私は大学を卒業する前に精神科に入ろうと思いました。

精神科に入る時に、子どもの精神医学をやりたいと思い、精神科の教授に聞きに行ったんです。「長崎大学の精神科に入ったら、子どもの精神医学ができるでしょうか」と質問したら、「ここは自由な所だから何でもできます」と言われ、それで入ったんです。

入ってみると自由ではあるんですが、あまり児童思春期の勉強はできないので、精神科医になって四年目に、東京の関東中央病院(公立学校共済組合)へ、そこには「児童思春期」では有名な小倉清先生という人がおられるので、教授に紹介状を書いてもらって一年間勉強に行きました。

そこでは、すばらしい教育をしてもらえて、すばらしいプログラムがあるんだろうなと想像して出かけました。小倉先生にお会いして「僕たちはどうしたら良いですか」と聞いたら、先生は「まあ、病棟に一日いらっしゃい」と言われました。最初はそれだけなんですね。

これは試されているんだな、僕たちの力量がどの位で、どの位熱心で、子ども達との付き合いが上手かどうか試されているんだなと感じて、随分無理をしました。

ソフトボールの試合があれば必要以上に張り切ってがんばったり、積極的に子どもたちに話かけたりするんです。でも、そういうことをして安定したかと言えば、実に心細かった記憶があります。

その病院の中では、私たち長崎から出てきた二人はまったくの無名です。しかも、やるべき仕事・役割は全く無しです。そして病棟に一日居なければならない。看護婦さんや実習生たちはすることがあって忙しそうに生き生きしておられる。患者さんは、それぞれの悩みもあるし、友達もいるし、するべきこともあるように見える。僕らは何もすること無し。

とにかく、自分たちから積極的に声を掛けなければならないと思って病棟を回りました。「おはよう。長崎からきた松本です。よろしくね」と言います。すると、みんなニコニコして「よろしくお願いします」と言ってくれるんですが、三十分位でもう病室を回り終わってしまうわけです。後は何も無し。あんなにニコニコして「よろしくね」と言ってくれた患者さんたちも、その後は何を話しかけてくれるわけでもなし、なにか放ったらかされたような感じ。非常に心細くて、ストレスでした。逃げて帰りたいような感じ。

 

考えてみれば、その状況は不登校の子どもさんや、不登校ではないけど教室の中でなんだか居心地が悪いような子どもさんたちの心情に多分似ていただろうなと思います。全く一人の気持ち。

そんな時大人は、「友だちを作るためには、あなたから積極的に話しかけなければダメよ」と子どもたちに言います。

 

私もそう思ってやってみたのです。自分から積極的に患者さんたちに話しかけてみる。それが関係作りの第一歩だと。そしてその時に「おはよう」と言って挨拶もできたんですが、それで話題は終わってしまうんですね。その後の沈黙というか、患者さんが自分の用事が終わってサーッと帰ってしまった時の取り残されたような気持ち、これは非常に耐え難かった体験です。

「自分からまず話しかけないとダメよ」という、言う方も言われる方も当たり前と思っているアドバイスの持つ残酷な側面を、身をもって知ることができたと思います。

 

3.救われる気持ち

 

当時の私を何が救ってくれたかというと患者さんでした。物好き?の女性の患者さんがいて、珍しさもあってか、やがて私に毎日何かしら話しかけてくれるようになったのです。その患者さんと毎日話すようになって、朝になったら病室に行って彼女と話をしようとその日の小さな計画を立てれるようになって、心がすごく安定した記憶があります。

一人の人と毎日話すことができる、そういうことで自分の位置というか、自分が認められたような感じで心が非常に安定したのです。居場所ができた、ということですよね。

ですから強引に結びつけて言えば、不登校の子どもさんとか、教室で居心地が悪いように感じている子どもさんにとって何が必要だろうかといえば、私を救ったような「ひとり」が要るわけです。自分から話しかけなくても必ず話しかけてくれる誰か。あるいは、ただ話しかけてくれるだけではダメで毎日その人と少しだけ会話ができる、その人と少し会うことができる、そういう「ひとり」が多分要るんだろうなと思います。

 

集団の中に入るのが苦手な子というのは、実は集団が苦手というよりも、1対1の関係を作ってそれを安定して維持することがとても下手くそという子どもがほとんどです。ですから、集団が苦手だから集団の中に入れようと思ってとりくむとだいたい失敗するわけです。そもそも1人の人と自分は関係が作れるだろうか、友だちができるだろうか、という不安が強くて足踏みをしている状態ですから、1対1の関係が作れるかどうかがとても大切なのです。

 

その時に、大人が「あなたの方から積極的に声を掛けなさい」というのはちっともアドバイスにならない。そんなことは解りきっているわけです。そんなことをしたら良いだろうなというのは自分でも解っているのです。そして、それをやってもみる。しかし、それは先程も言いましたようにそれっきりなわけです。「おはよう」と言って「昨日は何をした?」と言ってもそこで話が終わる、という感じ。そのあとにくる一人ぼっちの感じというのは、話しかけなかった時の一人ぼっちより、もっと耐え難い、というようなところがあります。

 

こういう時のコツは、生徒さん同士の1対1の関係というのはあまり狙い過ぎないことです。だから、「ひとり」の相手というのは大人の私たちがなってあげようというのが、まずはコツなんだろうと思います。

生徒さんどうしというのは相手も子どもですから、くっついたり離れたりいろいろです。だから大人が誰かほかの子に「あの子のことよろしくね」と頼んでも限界があります。うまくいくかどうかもその時によっていろいろ。付録みたいなものです。うまくいったら「すごいなあ」と思うけれども、うまくいくかどうかは計算が立たない。

より計算が立ちそうなのは、大人の先生(担任でもクラブでも養護の先生でもよい)です。一人の先生とその子どもさんと1対1で過ごす時間、1対1の関係を作ってみることが一つの目標です。

1対1の関係を作るというとすごく難しそうに聞こえますが、ほんのちょっぴり仲良しになるかどうかという感じです。それがまず狙いめだなと思います。

 

4.1年間に合計何分?

 

ここに集まっておられるのは高校の先生方ですから、小中学校とややニュアンスが違いますが、クラスの子どもさんと1対1でこの1年間何回会っただろうか、トータルで何分会っただろうか、まわりに誰もいないという状況でですよ、何回会ったか振り返ってみることはとても大切な視点だと思います。たとえば「いじめ」があったり「いじめられ」があったりすると、関係者を一人ずつ呼んで「そういう状況があったのか」と聴くことはあるかも知れませんけど、そうではなくて、平時に、何も無い時に、1対1で話をする機会が時々あるというのは、元気でない子、あまり自分を出せない子・・・たぶんすべての子どもたちにとって非常に価値のあることではないでしょうか。

5.欲しいものベスト3

 

そこで、1対1で会った時に何を話すかということを少しだけ話してみたいと思います。

 

生徒が担任の先生に呼ばれて1対1になる。先生のこと少し嫌いだと思っていると、あまり話したくもない。早くこの時間が終わればいいなあ、と思って黙っている・・・。ありえそうですよね。

 

だから1対1の時間を作ってあげさえすればいいというものではありません。その場を維持する工夫が必要です。

そこで、話題を少し考えようというわけです。これも年齢によっていろいろなんですけれども、よくする質問の一つは、例えば精神科に通ってくる子どもさんにする質問の一つの例ですけど、「いま欲しいもののベスト3は何?」、「第二位は?」と聴くと、いろんな答えが返ってきます。CDが欲しいとか自分の部屋が欲しいとか子どもらしい答えが返ってくる場合もありますし、友だちが欲しい、あるいは強い自分が欲しいという子もいます。学校を休んでいる子は、普通にみんなと同じように学校に行ける能力が欲しいと言ったりします。いろんなことを欲しがっているんだなとわかります。

 

なかには「何も欲しくない」という子がいます。私たち大人としては、できるなら何か欲しいものを一つでも言って欲しいわけです。もしかするとそれがとっかかりになるかもしれないし、その子が未来をまだ捨てていないという確認にもなるからです。欲しいものが「ある」、という答にはそういうひろがりがあります。でも、「欲しいものは無い」と言われると、どうせ自分はもうどうでもいいんだという絶望の気持ちがそこに反映されているかもしれないし、言葉に出して言っても現実は何も変わらないという経験が積み重なっているかもしれません。

 

「欲しいものベスト3」の問いかけによって、そういうことがちょっぴり透けて見えるというか、その答の中に健康さの具合や、悩んでいる具合の深さが現れたりするのです。

また、三ヵ月後とか半年後に会った時、「あの三つのお願いはどうなりましたか。欲しいものは叶いましたか」と話がつなげるというメリットもあるのだと思います。

 

6.こわいものベスト3

 

それから、工夫する質問の例としては、似たようなものですが、「世の中でこわいものベスト3」というのもわりとよく聴いてみます。

一つとは言わず、ベスト3と聴くところがコツといえばコツで、三つの中には本物が隠れているかもしれないからです。そう見え見えに隠れてはいないかもしれませんが。

三つの中には、クモがこわいとか雷がこわいとかいろいろあり、当たり前だなと思いますが、こんな答はちょっとホッとします。中には「人間がこわい」と言う子もいるわけです。父親がこわい、秘密だけど学校の先生がこわい、などいろいろ言ってくれる。だから「こわいものベスト3」というのを聴いてあげることも一案です。

 

7.生まれかわったら何になりたい?

 

それから、「生まれかわったら何になりたいですか?」という質問もあります。これは、その答の向こうに何を知りたいのかといいますと、「死にたい」という気持ちです。

自殺とか生きていても意味がないとかを口には出してはいないけれども、もしかしたら考えているかもしれない。それをストレートに聴くと、「いいえ」と言われておしまいだったりするんですが、「生まれかわったら何になりたいですか?」と聞いてみるその答えの中に、私たちがアンテナを張りめぐらしていると引っかかるものがあるわけです。

「生まれかわりたくない。もう苦しい」と言う子もいます。「人間として生まれて、こんなに苦労するんだったら生まれかわらないほうがまし」とスパッと答える子がいます。そういう子は、ひょっとすると死にたいと考えているかもしれないと思ったりします。

あるいは「植物になりたい」という子もいます。そうか、ひどく疲れているんだなあ、静かな所がいいんだなあ、いまはひっそりと過ごしたいのだろうなと感じます。

女の子だったら「ぜひ男の子になりたい」と言う人もいるかもしれません。

いろんなことがその答に現れて、その子の気持ち?それは言葉で意見に出して言う気持ちとは違うんですが?その子が感じている実際の事柄に近いものを私たちが想像できるということになります。

 

8.絶対なりたくない大人って?

 

もう一つよくする質問は、「大人になって、絶対なりたくない大人はどんな大人ですか?」というものです。

高校生ぐらいの人に、「将来何になりたい?」と聞くと、「別に」と言われて終わることが多かったりします。「また同じことを聞きやがって」という感じです。特に精神科医に連れて来られる子どもさんは聞かれ疲れをしていて、さんざんいろんなことを聞かれた挙句に、「カウンセリングでは本当のことを話して来なさい」と言われて、やって来ますから、またそこでウカウカと「将来何になりたい?」と聞くと、「こいつも同じ大人か」と思われて、ツーンとソッポを向かれて終わるんですけど、そこは工夫の見せ所で、職業などは聞かないわけです。

「絶対になりたくない大人はどんな大人ですか?」と聞く。

すると、結構これには笞えてくれます。そして、その七割くらいの子どもさんは、「他人を見かけで判断する大人」と言います。七割!ぐらいですよ。ということは、こどもたちにとっては「見かけ」ということがきわめて重要な課題になっている、ということがわかります。

 

だから、私たち大人がどんな大人であればいいのか、そこで教えてくれるというところがあるのです。七割ぐらいの子が、他人を見かけだけで判断する大人にはなりたくないと言っているわけですから、大人の努力目標としては、他人を見かけで判断しない大人にならんといかんかなあというのがちょっとあるわけです。

ただ、大人が、他人を見かけで判断しないで大人の中で生きるというのは、すごく孤立しやすかったり、正しいんだろうけれど一人ぽっちになって浮いてしまうところがありそうで、なかなか難しい面があるわけですけれども、少し痩せがまんをして格好いい所を見せなければならないんだなという気がします。

 

9.行ってみたい外国

 

それと雑談風に聞いてみて、答えが返ってこないことが少ない質問として、「行ってみたい外国がありますか?」があります。

そう聞くと高校生ぐらいになると割と答えてくれます。「エジプト」とか答える。へえ?、この子はエジプトに行ってみたいのか、「どうして?」と聞くと、また「それは・・・」と話してくれたりします。

こういう事柄も、職業がどうの、いまの悩みがどうのというのとは、ちょっと違ったその人の側面というのでしょうか、自分の気持ちや悩みをアンケートで書いて下さいというものでは書けないような、その子の気持ちが現れるようなところがあって、しかも日常的な話題としては不自然ではないというところがありますから、1対1で会う機会を作った時に、それとなく「外国に行くとしたらどこに行ってみたい?」と尋ねてみられてはいかがでしょう。

 

10.ペットの話

 

もう一つ無難なのはペットの話題とか言われます。

「飼っているペットがありますか?」

「飼ってない」

そこであまりフーンと終わらないで、「金魚やメダカはいませんか?」、あるいは「植物を育てていませんか?」と、犬とか猫だけがペットではありませんから、範囲を広げて話を振ってみるということは必要かも知れません。

 

11.1対1の時間

 

そうやって、5分でも10分でもいいんですけども、一年のうちに何回か会った時にいろいろ話題にしてあげる。

普通は、受験校なら受験の話題ばかりですし、受験校でなければそれなりの学校のパターン化された話題が多いわけですから、1対1の時にできる窮屈でない話題を、それぞれの大人が工夫しておく必要があるんだなと思います。

そういう時間を作っておくことが、不登校を少し予防するとか、あるいは「「いじめ」、「いじめられ」といったことがらを少し予防することとかに、ひょっとしたらつながるかもしれないのです。

 

人の心を育てるのは、自分の好きな人から関心をもたれて大事にされているという実感を味わうことだ、といわれています。

自分が何だか関心をもたれているという感じはとても重要です。

放っといても関心が向く子は、それはそれでいいんですけれども、影が薄いような子どもさんに対しては、うまく「あなたにプラスの関心を持ってますよ」ということを伝えたい。ただ、それはスローガンみたいに伝えるわけにはいきませんから、まずは、1対1の時間を軽い感じで作って、それから話題の工夫をしようということになります。

その時に、ペットの話題、行ってみたい外国の話題、欲しいものの話題といった、直接学校生活とは関係のないことですけれども、そういう話題を振ってみるということが、相手に関心を持つ努力の具体化なんだろうなと思います。

 

12.「怠け」について

 

話は変わりますが、先生方からよくされる質問の一つに、学校に来ない生徒さんに対応する時に、「その子が怠けなのか怠けでないのかをどう見分ければいいですか」という質問があります。いまだによく聞かれます。

悪気があって聞かれるわけではもちろんなく、「もしも怠けでなければ早目に対処したいから」、「心理的な背景があるんてあればそれは十分配慮したいから早く見分けておきたい」ということで聞かれるということが多いのだろうと思います。

しかしある子どもさんを見た時に、怠けなのか怠けでないのか、その見分け方はどうなのかと、判別にこだわることは時間の無駄だと私は思っています。

それは、怠けの部分もあるだろうし、怠けでない部分もあるだろう、つまりどちらも混在しているに決まっている、と思っているからです。

怠け百%、あるいは怠けゼロなんて有り得ないわけです。人間ですから、できればきつい時「サボリたいな」とか「怠けたいな」と思う気持ちがあって当たり前。逆に、高校生ぐらいになっている人を「怠け百%だ」と見るのも、人間をあまりにも浅く見すぎていると思うのです。「怠け100%」の人間など現実には存在しないスーパーマンですからね。

「どっちともあるだろうな」という現実的解釈に立つことです。そもそも見分けなんかつかないことなのだ、という割り切り。日によって、あるいは時間によって、そのブレンドの割合も変化するだろうな、という認識が必要です。

 

とは言え、私自身の目標で言えば、実は、「決して怠けとは見ない」スタンスに立とうという姿勢でいます。これは正しいとか正しくないということではなくて、援助を継続する上での個人個人のポジショニングの問題です。私自身は、そのスタンスに立つことを意識しておかないと、現実を超えて怠けと断じたくなる自分が顔を出しそうな気がするからです。

 

もし、怠けというふうに見てしまうと、援助の方法、解決の方法はひとつです。怠けなんだから、「怠けさせないようにしよう」という方法です。まあ、ひらたく言うと「厳しく指導しよう」という方向でしょうか。大人の気持ちはとりあえずスカッとします。原因と解決方法が一見はっきりしたわけですから。

で、そうやって指導をします。

やがて、指導をした結果が得られないとなった時、指導している側の気持ちがどうなるかというと、ほぼ必ず、「怠けの気持ちが強いな」と結論付けてしまいます。「やっぱりこれでは手ぬるかったな」と。「怠けの指導をもっと厳しくしよう」と必ずそうなるわけです。怠けと見ていますから。

そしてさらに結果が出ないとなると最後、恐いことが起こります。何かというと、投げ出してしまうという終わりが訪れるのです。

「私たちは、こんなに熱心に、献身的にやってるんだけどもちっとも応えてくれない。これはもう手の届かない怠けだな」、だからもうダメだと投げ出してしまうということが絶対に起こるわけです(笑)。

 

そういう最後を防ぎたいという意味合いもありますし、それから怠けと見なければ、「怠けだから厳しくすればよろしい」という答えだけでは済まないわけです。解決方を考える時に、「その子にも怠けの気持ちもあるだろう、そうじゃない部分もあるだろう」という見方にたてば、そうじゃないであろう部分に対しても目配りが要るし、相手の考えが自分の理解不能と切り捨てずに踏みとどまることが可能になる、ということもあろうかと恩います。

 

13.絶対に伝わるマイナスの気持ち

 

今の話の関連で、よく紹介しているのは、私が精神科の先輩から教えられたことです。

精神科に入って、やがて患者さんを受け持って、主治医になります。で、人間ですから相性というものがたぶんあって、「この患者さん、苦手だな」という患者さんができます。あるいはもっと進んで「嫌いだな」という患者ができたりします。

そうなった時、先輩が言うには「この患者さん嫌いだな、とチラッとでも思ったら、その気持ちは百%相手に伝わる。絶対に伝わる。これを覚えておきなさい」というんです。嫌いでないふりをしても百%伝わる・・・。

精神科医として新米ですから、患者さんのことを嫌いですよという態度で接する度胸はないわけです。逆に嫌われるとイヤだし、看護婦さんの評判が落ちるとイヤだなと思ったりするものですから、持っている優しさだとか、持っている忍耐だとかのすべてを総動員して、あなたのこと大好きですよ、というふりで接するわけです。嫌いだなと思っていてもです(笑)。

しかし、そんなことをしても必ず伝わるというのです。

 

そして、やがてその患者さんとトラブルが生じた時に、あるいはその患者さんがちっとも癒らない、逆に悪くなるという事態が生じた時に、もし私が自分の嫌いだなという気持ちを隠し通せていると思っていれば、そのトラブルの原因は必ず相手のせいになると、先輩は教えるのです。

自分がこんなに献身的にイヤな気持ちを抑えて接してあげているのに何故この患者は解ってくれないのだろう。やっぱりこの患者さん、イヤな奴だなと必ず相手のせいになってしまう。

ところが、嫌いだという気持ちが相手に伝わっていると知っておけば、そのトラブルの原因を、「このマイナスの気持ちが伝わっているせいだろうな」と考える余地が生まれる、と言うのです。

 

トラブルが生じた時、原因を見誤るのが当事者です。同じトラブルが、原因を相手のせいにだけしてしまうのか、それとも自分のこととしても考えるのかということで全く別のものになってしまいます。だから覚えておきなさいと教えられたのです。

強い立場の人のマイナスの気持ちは相手に必ず伝わる。口に出さなくても、隠しても伝わる。これは常識です。精神科医と患者さんの関係に限りません。対人関係のある所では必ず生じる現象です。

だから種々のトラブルがもし生じていたら、先生方と生徒さんとの間で、あるいは生徒さんの親御さんとの問でトラブルが生じていたら、疑ってみるべきは、嫌だなというこちらの気持ちが伝わっているのではないか、ということです。自分の心の中を覗く作業です。誰でもそこをあまり見たくありませんので、ちょっとフタをしたくなりますが、自分の中の相手へのマイナスの気持ちの存在と、それが百%相手に伝わっていることを知っておかないと、ますます両者の距離は遠ざかってしまいます。

どんなに偉い人でも、そういうことを知っていなければ一生懸命にやればやる程、結果が出なければ相手のせいになってしまうことが必ず生じます。それを防ぐことが、先生方を含めて私たちプロの役割なのではないかと思ったりします。

 

ですから、「怠けとは見ない姿勢に立つ」というのもそういうニュアンスがあるわけです。怠けとだけ見てしまうと、やがて行きつく先が相手のせいになってしまって、投げ出して終わりという結果にどうもなりそうだ。これは、自分が自分を見ていて、なんだかそうなりそうだから「待て待て」と思うわけです。

子ども側に立ってみれば、一番避けたいのは、投げ出される、見捨てられることです。だから、そうならないような考えを大人として身につける必要があるわけです。どういう考えをした方が長続きするかという視点が必要なわけです。

切れ昧のするどいやり方というのは、一見良さそうですが、それでうまくいかなければ、つい次の方法は投げ出してしまいたくなる。「もうダメだ」と早目に結論を出してしまうということになります。

 

14.どう呼ぶか

 

それともう一つ、「怠け」ということに関して言えば、あまりにも言葉の響きが良くない。「お宅の息子さんは怠けが強いようですね」と、高校生にもなってですよ、学校の先生から言われる。そう言われた親御さんの気持ちを考えると「人格が良くないですね」「人間の質があまり良くないですね」と言われた感じ。あるいはそれを子どもさんに伝えても、同じようなことが生じます。「怠け」という言葉のイメージがあまりにもよろしくない。そういうよろしくないイメージは、たいていの人を救いません。

 

昔、サリドマイドという薬がありまして、これは軽い睡眠薬なんですか、西ドイツや日本でたくさんの妊娠中のお母さんが飲まれて、その結果生まれてきた赤ちゃんの手足、特に手が極端に短いという奇形が発生するという薬禍事件がありました。

その生まれてきた赤ちゃんの呼び名が最初何だったかというと「アザラシ赤ちゃん」、「アザラシベイビィ」と呼んだといいます。見た目がアザラシみたいだからというわけです。つまり手の格好がです。

しかし、すぐに、「アザラシベイビィ」と呼ぶのはあまりにも酷ではないか、その赤ちゃんは手が短いままで生まれているわけですから、その子が背負うであろう今後の苦労を想像すると、「アザラシベイビィ」などという名前はひどいではないかという意見が強まりました。

そして、ある国では「エンジェルベイビィ」つまり「天使の赤ちゃん」と呼びましょう、となったそうです。この顔を見てごらんなさい、手は短くとも、天使のように私たちのためにニコニコしているではありませんか、と。

「アザラシベイビィ」と言うのと「エンジェルベイビィ」と言うのとでは、その伝わるもの、何とかその子を支えようとするもの、情(なさけ)みたいなものがまるっきり違いますよね。

同じものを見てどう呼ぶかという、一見ささいなことの中に、その人がその赤ちゃんにどう関わろうとするのか、どういう社会や未来を用意しようと考えるのかということが、はからずも表れるものです。

 

ですから、不登校状態に陥っている生徒さんに対して、「怠け」と呼ぶかどうかというのは、大人が、あなたはどのポジション、スタンスに立つのですか?という内なる問いに答を出すことでもあります。何事につけ、そういう自問自答した上での呼び方であってほしいと思います。

 

ハンセン氏病という病気があります。江戸時代はそれを「天刑病」と呼んでいたそうです。天の刑罰だというわけです。昔々の業(ごう)が崇って、前世の業が崇って天罰が下っているのよ、というようなとんでもない名前です。そう付けられた側をどうやって救おうというのか、そこには助けようという感じは微塵もないわけです。「あなたには罰が当たっとる」という感じ。

 

また、統合失調症という病気がありますが、これも「怠け病」と呼ばれたりすることがあります。見た目には健康に見える、五体満足に見える、なのにゴロゴロして働かないように見える。たったそれだけで、「怠け病」と呼ばれるのです。本人さんは、困難な病気の苦しみもある、その上にさらに「怠け」と呼ばれる苦しみが加わり、二重の苦しみです。

私が、「怠けか、怠けじゃないかの見分け方を」と聞かれて、本音ではカチンとくるのは、仕事柄、統合失調症の患者さんの二重の苦しみを見聞きすることが多いせいかもしれません。

 

あれこれ話しましたが、子どもさんを見た時に、私たちがどう呼ぶか、というのは非常に重要な問題です。厳密に学問的にどうこうという以前に、どの場所に私たちが立つか、ということはどんなに大切なことであろうかと思います。

 

 

15.投げ出さないために

 

それからもう一つ。これは看護の言葉ですが、看護婦さんの教育のなかでよく言われるのは、「キュアーすることは必ずしもできないけれども、ケアーすることは必ずできる」という言葉があります。 

キュアーとは治すということです。病気が治るということは必ずしも達成できるとは限らないわけです。末期のガンであるとか、重い統合失調症であるとか、さまざまな病気があります。どうしても目が見えなくなってしまうという状況もあるかもしれません。そういう病態を治してドさいと言われても、治してあげることが叶わないことも多いわけです。

 

しかし、ケアーなら、看護、看て護るということなら、どんな状況でもできるという言葉です。これが、看護婦さんを支えている誇りみたいなものです。3Kとか4Kとか、あまりよろしくない職場だと言われます。給料も安いわけだし、そういう状況で支えているのは、医者が「この患者さんは治りませんよ、もう治療できることは何もありません」と投げ出したとしても、看護はけして投げ出さないという誇りです。

 

何度も強調しますが、子どもさんの援助を続ける時に、私たちは投げ出さないで済む考え方、すぐに効果が出なくても、長続きする考え方が必要なのです。どちらかと言えば、ケアーの考え方です。

「もう治らない、ダメだ」というふうに見てしまうと、それはもはや子どもに関わるプロとしての仕事ではないということになってしまうかも知れません。どの考え方であれば、自分は投げ出さないで済むかということを良く考えなければいけないなと思います。

 

長続きする、ということは、子どもが人につながることを身を持って経験できるということであり、その事実の上に立って、「私とあなたがこうやってつきあい続けることができたということは、あなたがやがて、私以外の人ともつきあうことが可能だという証拠ですよ」と言ってあげられるということであり、さらに、「人とつながるということは、語呂合わせみたいだけれど、未来にもつながることができるということなのですよ」と言ってあげられるということです。

 

たとえば1年間のつきあいのあとで、そう言ってあげたくて、私たち大人は長続きする関わりの方法や、考え方を試行錯誤するのです。

 

16.赤ちゃん

 

話は変わりますが、ある高校2年生の女の子に話を聞く機会があって、その女の子は中2、中3の2年間全く学校に行けなくて、いまは高校生になってなんとかうまく元気にやっているんですけども、その子に質問する機会があって、あんまり心をつつくような質問にならないように随分配慮をして質問をいくつか考えました。

 

そして、「中2、中3の時、一番つらいと思っている時期のあなたを、一番支えたものは何ですか?」と聞いてみたのです。「当時、死んでしまいたいくらいにつらかったというあなたを、いったい何が、死なせずに支えてくれたのですか?」という質問です。

 

その子はしばらく考えて答えました。自分の家の近くに保育園があって、自分もそこを卒園していて、そこの園長先生もよく知っていて、その園長先生も自分がずっと学校に行っていないことをご存知で、たまたま会った時に「保育園に遊びにいらっしゃい」と言われていた。なかなか行けなかったんだけれど、ある時思い切って行ってみた。それから何回か行く中で、保育園では赤ちゃんもあずかっているので、園長先生から「この赤ちゃんを、しばらく抱っこしててね」とお願いされる、そういうことが何回かあった。それがあの頃の私を一番支えました、とその子は答えてくれたのです。友だちの支えとか、御両親の支えとか、いろいろあっただろう中で、一番支えたのは、赤ちゃんを抱っこした何回かのそのことだ、と言うのです。

 

そこには、多分、私たち大人が考えてみるべき、とてもいいものがあるんだろうなということになります。

それは何だろうかと想像してみると、まずはその前に、中2、中3、あるいは小学校でもいいんですけども、一年も二年も学校に行っていないという状況で、人はどういう気持ちに陥るだろうかという想像が必要です。

もちろん友だちもいなくなっていますし、勉強も遅れている。将来どうなるだろうかという不安も大きい。お母さんとの約束も破っているかもしれない。期待を裏切っていると感じて自分を責めているかもしれない。

そういう状況が延々と続くと、自分が今後友だちに好かれるということがあるんだろうかと不安になるかもしれません。この自分が好かれるということがあるんだろうか、もう二度と有り得ないように思う。ずっと一人ではないだろうか、とそういう気持ちに陥ってしまいそうです。

でも赤ちゃんは偉いわけです。赤ちゃんは相手が学校に行っていようがいまいが関係なし。ニコニコと笑うとニコニコと笑ってくれます。もしひとりぼっちの不安に押しつぶされていても、赤ちゃんはニコニコッと微笑んでくれます。

 

つまり、「この自分」、「この今の自分」がなんだか好かれるという感じが、中2の女の子にとっては一番助けになったんだろうなと思います。好かれる理由抜きというんでしょうか、今までの実績、今までの自分への評価抜きというんでしょうか、ただただこの今の瞬間の自分が好かれているという感覚が随分助けになったんだろうなと思います。過去とか未来とかの色のついていない「瞬間」だけが持つ力があるのです。

 

これに似たものを応用することが、不登校の生徒さんを援助する時に、いえ不登校とは限りませんよね、子どもさんを援助しようとする時に、必要なんだろうなと思います。

何か良いことをしたら好きになりますよなどと、赤ちゃんはそんなことは言いません。条件は付けない、無条件に好きですよという感じ。これは言葉でも言ってくれません。言葉では言われないんだけれど、自分が今の瞬間好かれていることははっきり解ります。そういう感じが支えなのだなと思います。

 

これは、子どもに限りません。大人でも同じですよね。たとえば職場の人間関係で、自分がとても嫌われていてつらくへこんでいる時、赤ちゃんに会いにいきましょう。どれほど気持ちを支えられることかと思います。半分冗談のように聞こえるかもしれませんが、割りと本気でおすすめです。

余談ですが、今は少子化時代ですから、大人になるまでも、なってからも1回も赤ちゃんを抱っこしたことがない、なんていうことがけっこう多いのかもしれませんよね。

 

17.言葉はいらない

 

最近、アニマルセラピーということがよく言われますね。動物を飼って癒されようということですけど、これも赤ちゃん効果と同じような意味合いがあります。

たとえば、犬を飼ってみます。すると犬もまたたいしたもので、御主人が偉いか偉くないかに関係なく、お金があるかないかにも関係なくなついてくれる(笑)。

弟は学校に行っている。僕は学校に行っていない。でも自分の方になついてくるということがおこったりします。

そういうことが、人の心を支えることがあるのだと思います。ただ、アニマルセラピーという時に、犬を飼えばそれでよろしいのかというと、そうでもないわけでして、大前提として自分になついてくれるということが必要なわけです。あんまり知らんふりしている犬を飼っても自分か好かれているという感じでもありませんから、かえってストレスですよね(笑)。

 

でも、本当にエネルギーが枯れてしまって絶望しているという子には、あまり騒がしいもの、動きが激しいものは荷が重い、ということも覚えておく必要があると思います。

犬は偉いんですけど、動きが多くて活発、元気すぎるという感じがあります。本当につらい時には、静かで、動きがないものの方が癒しになります。たとえば植物。あるいはメダカみたいなものですね。メダカはなつきませんけども、こちらが関わりを持たなくても眺めているだけで何だか癒されるという感じ。水の持つ癒し効果も加わっているでしょうか。うるさくないというところもミソですね。

 

赤ちゃんもそうですし、犬もそうですが、共通項があります。それは言葉をしゃべらないということです。犬が人の言葉をしゃべるとウットウしいだろうなと思うわけです(笑)。「御主人様のこと大好きです。大好きです」などとキャンキャン言われると、ちょっとあっちへ行けと言いたくなりますよね。何も言わないで、ただ尻尾を振っているのがいじらしいような、そんな感じ。

だから言葉での励ましは、する方は励ましていると思っていても、掛けられる方はつらかったり、ウットウしかったりやかましかったりすることが有り得るんだなと思います。私たちは、何も言わないで慰める方法があるだろうか、ということを、援助の場面では常に考えておかなければいけないのだなと思います。

 

家庭訪問なんかする時に、今日こそは会話に持ち込もうと思って行くとですね、もう行く前から億劫になってだいたい長続きしません。しゃべらないようにしゃべらないようにしてみよう、と考え方を変えてみるとよいのです。

しゃべらないようにしようというのも変かも知れませんけども、何か工夫をして言葉抜きのかかわりにして、たとえば鉢植えのサボテンを持って行って時々サボテンを見るために家庭訪問するといったイメージ。子どもが世話をするということを目標などにせず、ただただ自分が、水をやりに行っては、「じゃあね」と言って帰る、そういうことなら長続きするような気がするし、自分かいない時にこのサボテンを眺めてくれんかなあ、みたいなところがあったりして、ひょっとしたらうまくいくことがあるかもしれません。

 

いっしょに何かを眺めるというコミュニケーションは、とても質のいいコミュニケーションなのです。

 

18.つらい?つらくない?

 

昔、私は大学病院にいた時に、中1の子を受け持って、その子は統合失調症という病気で、全く口を聞いてくれない子どもさんで、コミュニケーションが全くとれなかった。どうコミュニケーションをとろうかと考えあぐねて、金魚を飼ったことがありました。

毎回一緒に世話をしようと促すんですが、本人はウンともスンとも言わないので私ひとりが水を替えていました。寝る前に、洗面器に水を入れ一晩置いて、水の中の悪いものを抜いて水を替えようねと言って「これをしておいてね」と言うんですが、ちっともしてくれない。でもある時、水を洗面器に入れてベツトの下に一晩置いてくれていたことがあり、ものすごく嬉しかった記憶があります。

「エサをやっておいてね」と言っても、これも全然やってくれなかったんですが、ある時、エサを全部一袋やってくれていて(笑)、水面がエサの山だったことがありました。この時も嬉しかったですねー。

そういうこちら側の「つらくなさ」というのでしょうか、関わっているんですよ、でも肩に力を入れて真正面から、「しゃべって欲しい、しゃべって欲しい、コミュニケーションをとろうよ」という姿勢でのぞむと、それは相手にとっても自分にとってもプレッシャーだろうなと思いますけども、私のやってることは金魚の水を替えるだけですからね。ぜんぜんたいしたことないわけです。

替えて「きれいになったね」と言って眺めていると、つらいどころかけっこう癒されるものだったのです。関わる時に自分があんまりつらくなく関わるということも大切なことだなと思います。自分のためにも、相手のためにも。

家庭訪問をする時に、あるいはハガキを出す時に、電話をする時に、そのことを振り返って自分の胸に手を当てて、つらくてつらくて本当はでも仕事だからしているという状況があるんだったら、あまりろくなことにはならない。意味がないということではないんですけど、あまり続かないだろうなという気がします。

 

 

19.平凡な言葉で

 

また少し話は変わりますが、幼稚園のPTAというのがあって、ある幼稚回の保護者の会があるからそこに来て話をしてくれないかと言われて、断りきれずに今日みたいに行ってしまったことがあります。

そこでPTAの副会長さんという方と話をする機会があって、その人は男性の方ですけども、「自分は中学校時代にすごく荒れていた。さんざん悪いことをやって、先生のことは大嫌いだったし、担任の先生も自分を憎んでいたと思う。お互いに憎み合ってもう目茶苦茶でした。その自分がいまは家庭を持って、子どももまがりなりにも育てている。何が自分を立ち直らせたと思いますか?聞きたいですか?」と言われる。

もちろん、ぜひ聞きたいわけです。教えて教えてと聞いたらですね(笑)、中3の時にテストを受けていたら、お互い憎み合っているはずの先生がスーッと寄ってきて、答案を持ちあげて「おう、やれば出来るやっか」と言ったんだそうです。

そう聞いて正直拍子抜けです。ものすごいキッカケがあって立ち直ったのかなと、それを教えてもらえるのかなと、つい期待というかなんというか思っていたんですけども、そうではなくて「やれば出来るやっか」という、普通の言葉だったわけですからね。

 

でも、そうだとすると、それがですよ、その時の自分、荒れていた自分を救って、今の自分があるんだと本人さんが思ってらっしゃるということですから、やっぱり大切な意味があるんだろうなと、よーく考えてみる必要があるんだろうなと思って、無理矢理考えた話をすれば、多分その担任の先生は「やれば出来るじゃないか」という言葉はいつも掛けられていただろうと思います。これは常道ですから、子どものやる気を出させようとする時に「やれば出来るぞ」というのは誰でも思いつく励ましですから、多分何回か言っておられたんだろうと思います。

でも、その何回かの時には心に届かなかったのでしょう。ところが、全く同じ言葉なのに、言葉をかけ続けていると、ある時、あるタイミングがあって、相手の心に届くということがあるものだと、そう、この話から言えるのかなと思います。

 

だから言葉をかけた時にその子がツンツンしてて、何言ってんのという表情をしていても、私たち大人は声をかけ続ける、声でなくてもいいんですけど、なんらかの形でその子を支えるような関わりを続けることが、どこかで生きることがあるということを信じておく必要があるのです。

結果が保証されていることを信じるのは簡単なのですが、私たちに求められているのは、結果が全く保証されていないことを信じるというプロの精神です。

当り前なんですけども、途中であきらめないことが大切なんだなと思います。同じ言葉でも、月並みな言葉でもいいから、「あなたのこと、忘れていませんよ」「本当に大事に思っている部分がありますよ」ということを伝えたい。でも、こういうことは、下心があって、狙ってやっている間は、大体うまくいかないものです。狙っている時は、やってもやっても徒労なのですが、でもある時「おっ、やれば出来るやっか」と何気なく出た言葉がその人の心を打ち、その後の人生を大きく動かすということが、大げさに言えば有り得るわけですから、なにか励まされる言葉だなと思います。

 

それと、もう一つはコントラストの問題があると思います。大嫌いな先生から「おっ、やれば出来るやっか」と言われた、というところに少し意味があるかも知れない。

自分が好かれていると確信している人から「やれば出来るぞ」と言われるのは、嬉しいんだけれども当たり前ですよね。嬉しさ半分(笑)。

でも、大嫌いな先生、憎み合っていると思っていた先生から何気なく言われると、掛け値なしの本物のように心に届きやすいのかも知れないなーと思ったことです。

だからもしも、ここに来ておられる先生方が、生徒から嫌われている!と自信がおありでしたら、ものすごいチャンスがめぐってきていることになります。コントラストを最大限利用できますからね。

 

20.風の便り

 

それと、これに似た話なんですけど、「学校の先生は、卒業した後に会うととても優しい」と子どもたちがよく言います。あの厳しい生活指導の先生が(生活指導の先生でなくてもいいんですが、思いつくのがそのあたりなもので)、自分のことなど全然覚えていないだろうなと思っていた先生が、卒業して会うととても優しい、と言うんですね。

 

ある高校生の男の子が、高校を中退してから引き込もりがちになってしまいました。長い間誰とも交流できなかったのですが、ようやくひとつ決心があって、朝早く散歩をしようと決めて五時半に散歩を始めました。画期的なことです。

知っている人にあまり会わないようにと、早朝にしていたんですけども、ある時、たまたま同じ時間に、その子が中学時代嫌いだった、怖い先生が犬をつれて散歩に来ておられた。その先生が「○○君、君も歩きよっとね。よかったら、明日から一緒に歩こうか」、「じゃ明日、ここで待ってるからな」と言って下さって、それから二人と犬とで朝早く散歩するようになって、あれは、その後の展開にひどく助けになったなということがありました。

 

先生がたの力というものは、子どもたちが在学中の時だけではなくて、卒業した後も、たとえば風の便りにある子が苦労しているという話を耳にされたら、何気ない振りをして待ち伏せしていて「○○君、元気にしとるね」と、よしんば名前を忘れていても先回りして名前を覚えておいて、さも知っていたかのように振る舞って声をかけてあげるというのも有効かなと思います(笑)。

卒業したあともそういう役割をしていただけると、どれほど子どもさんたちが助かることかと思います。

一人の子どもが大人になるまでに関わりのある大人は、実際にはほんの数えるくらいしかいません。先生がたは大切なそのお一人です。どうかよろしくお願いいたします。

 

21.そっと助けてください

 

それから話はバラバラなんですけれども、児童思春期外来にやってくる子どもたちによく聞いてみる質問の中に、「もし、助けてもらうとしたら、どんなふうに助けてもらいたいですか?」というものがあります。

この答は見事にほぽ十割の人が「そうっと助けてほしい」と言います。ワーワー言って助けてくれるな、と。自分が助けられているということを他のクラスメートが分からないように、そうっと助けてほしい、と言うのです。

「じゃあ、そうっとでなかったら、次はどんなふうに助けて欲しい?」と聞くと、「それならほっといてくれ」と言います。

つまり、どんなに苦しくても、そうっとでなかったら放っといてほしいと言うぐらいに、そうっとかどうかというのは助けられる側にとっては最優先の物差しなのだと、私たち大人は解っていないといけないのです。

 

「そうっとじゃない助け方」は、例えばどんな助け方かと言いますと、ある子が長く学校を休んでいてホームルームが開かれる。ホームルームを開いてA子さんならA子さんをどうやったら救えるかと、みんなで話し合う。もちろん、A子さんはその場にいないんですけどね。

ある日、巡りめぐって、A子さんに「あなたのことで、ホームルームがこの前開かれたよ」という話が友だち経由で伝わったりする。

実際にあったことですけども、それを聞いてA子さんは泣き狂ってしまって、「とうとう私はこれで皆の中に出れなくなった」と言って荒れ、随分その後こじれたことがあります。

 

高校生や中学生くらいの人たちにとって、自分の知らない所で自分を助けるためのホームルームが聞かれている、というのは、「あー嬉しい。良かった」と喜べるような類いのものではないのです。なんだか非常に複雑な、つらいような情けないような、恥ずかしいような腹が立つような、叫びたいような消えてしまいたいような気持ちなのです。きっと。

 

皆、善意でやるんですけども、善意でなんとかしてあげよう、クラスの力でなんとか助けてあげようよということで始まる助けではあるんですけども、なんだか「そうっと」ではありませんよね。助けられる側にとって、そうっとなのかそうじゃないのかということが、いかに重要か。ちょっと想像すれば、誰でもわかることですが。

 

22.誰にも当てない

 

そうっと助けるという時にあげる、あと二つぐらいの例があるんですけども、それもご紹介しておきます。

一つはですね、これも学校の先生からよく聞かれる質問なのですが、長く学校を休んでいた生徒が、久しぶりに学校に来ました。教室にも出て授業も受けると言います。授業というのはたいてい列で当てたり名前順で当てたりしますから、そういう時、その子を当てた方が配慮なのか、当てない方が配慮なのか迷います。どちらがいいのでしょうか?という質問です。

つまり、当てないで、勉強はおそらく遅れているだろうから、勉強が遅れていることが目立つのは可哀相だなと思うから、その子を飛ばして当てよう。でも、そうすると今度は飛ばして当てるということがその子にとっては特別扱いされたような感じがして逆につらいのかなー。でもやっぱり、わからずに立ち往生する方が苦痛ですよね、うーん、どっちでしょうかという風に質問されるわけです。

その心は配慮してあげたい、ということですよね。せっかく思い切って登校したのだから、なんとしても配慮してあげたいのです。

 

さて、どうしたらいいでしょう。

ここで、先ほどの「そうっと助ける」という物差しをあてはめて考えると、私の考えつく答はもう一つしかありません。それは、授業中誰にも当てない、という方法です。誰にも当てないで授業をすれば、当たらないということが目立だないし、当てられてわからずに立ち往生する場面も生じませんからね。

そうっと助けるというのは、そんな感じ。せっかく配慮をするんだったら、配慮のレベルを少し上げましょうという感じ。ただ、それはある種の覚悟が要るわけです。いつもの授業の進め方にちょっと支障をきたします。当てないで授業をするという、授業の工夫を求められます。今後ずうっと当てないで授業をするわけにはいかないでしょうけれども、当座の間そういう工夫が求められますよね。面倒くさいし、他の生徒の迷惑になる?かな?

でも授業の進め方はそのままにしておいて、配慮もするという都合のいい方法は実はないのです。覚悟のないところに援助はない、としたものです。

当ててもそうっとじゃない。当てなくてもそうっとじゃない。でも皆に当てないとそうっと助ける感じ。まぁ、そんな感じ。

 

23.葉っぱの葉書

 

それから、もう一つ紹介している例はですね、これは高校2年生の女の子の話なんですけども、一年間ぐらい全く学校に行ってなくて、学校に行けないどころか外にも全く出れなくて、私の外来に来るようになって、何回か会ったあとにですね、その子に質問をしてみたんです。

「もし、日本のどこかにあなたと同じような高2の女の子で、一年間外に出れない女の子がいるとしたら、あなただったらどんな風に励ましてあげますか」

 

その子が答えたのは「私だったら、毎日ハガキを出します。でも文字は一切書きません」。「何を書くの?」と聞いたら、「葉っぱを一枚だけ描いて、色を塗って出します。それを一年間続けます」と言うのです。

何のことかなと思ってもう少しくわしく聞いてみると、もらった人が365枚のハガキを順番に並べると、外の季節の変化が伝わるように、毎日じわじわと色を替えて一年間出し続ける、というふうに言いました。

これはすごいねえと心を打たれた記憶があります。「そうっと助ける」というのは、いわばこんなイメージ。「がんばれ!」なんて一言も書いてないわけです。葉書に葉っぱが一枚書いてあるだけ。

 

このハガキの良い所は、最初から、一回の効果を全く狙っていないところです。一枚もらっただけでは、もらった方も何のことかさっぱり分からないはずですからね。

でも、もらい続けているとやがて解る時が来ます。葉っぱの意味も、何のために葉書が出されているのかも、必ず解ります。三十枚、あるいは五十枚もらった時に、このハガキは、外の季節の色の変化だなと必ず解るわけです。なんでこれが届いているかというのも絶対に解ります。一言も文字は書かれていないのに。

自分が外に出れない、それでこの葉書は来ているんだな、これはその私への励ましなんだなと絶対に伝わります。

 

これを一回の効果を狙ってスローガンみたいに伝えると、実は伝わらないわけです。言葉で「がんばりなさい。大事に思っているよ」と手紙にものすごくたくさん書いて出しても、なかなか伝わりにくい。なんだか重いのです。ところが言葉は書かずに、そういう葉っぱのハガキで、一回の効果を狙わないという感じで出しつづけると、不思議なことに、言ってあげたいことが伝わる、ということが起こりうるのです。

 

私はその話を聞いてから、自分のしている援助が、その葉っぱの葉書に似ているかどうかということを、物差しの一つにするようになりました。全く同じことはできないんですけど、似ているかどうかと考えてみるセンスは非常に必要なわけです。

 

家庭訪問なんかでも同じことが言えます。一回の効果を狙いすぎるとろくなことは無いわけです。一回の効果を狙って何がなんでも今日は話をするぞ、何かの約束をするぞ、どっちかもう決めてもらうぞ、というような、その当日の効果を狙って行くとまずうまくいきません。欲張るとダメなのですね。

順ぐりに偉い人が出て行って、最後に校長先生まで出て行かれることになったとしたら、校長先生としては訪問当日何か成果を持って返らなければならないようなプレッシャーもおありだろうと思うわけです。

いきおい「月曜日に思い切って登校してみよう」とかなんとか約束ごとになったりする。でも、約束は校長先生の手前その場ではせざるをえなかったけれども、月曜になったらその子は動けない・・・ということが往々にしてあります。そうして、ひそかに約束を破った自分の(子どもさんですね)自己評価がさらに下がるみたいな悪循環になりかねないわけです。

一回の効果を狙いすぎないという姿勢が必要なのです。回数重ねで実は続けたいわけです。「忘れてはいませんよ、あなたにプラスの関心を持ち続けていますよ」ということを伝えたいわけですから、一回だけでそれを伝えてしまおうというのは、やっぱり虫がよすぎるわけです。一年なら一年間関わるという時間・回数が、「忘れていませんよ」ということの証拠なわけですから、まずは回数重ねだけを目標にする姿勢が必要かな、と思います。

 

24.誰かがどこかで・・・

 

「葉っぱの葉書」でもう一つ、思い出す話をご紹介します。

ある中学3年生の子を持つお母さんがいらっしゃって、その子の、男の子だったんですけども、自分の息子のことはとりあえず置いといて、近所に幼なじみの同じ中3の女の子がいて、その子が学校に行っていないということを実は聞いてしまった。その家庭が苦労されているということを良く知っているものだから、近所のオバサンとして、私に何かその子にしてあげられることはないでしょうかと相談を受けたのです。我が子のことは、まぁちょっと置いといてとかおっしゃって(笑)。

あまり良い考えも思いつかなくて、さっきの「葉っぱの葉書」の話をしてみたら、自分もそれをやってみようかなとおっしゃる。

365色を塗り替えるのはちょっと自分には不可能だということで、じゃあ、自分は絵葉書を出してみようかな、と提案されました。最近はいろんな種類の絵葉書がたくさん出ていますので、もらった女の子が「わぁーきれいね」とか「わぁーかわいい」と喜ぶような絵柄を選ぶことに、心を込めましょうと、決められたのです。そして、毎日というのも無理だから週二回出します、ということで始められました。

その時に、「私の名前を書いた方がいいでしょうか?書かない方がいいでしょうか?」と質問されて、これも正解があるわけではないので、「近所のオバサンから来るよりも、名前が無い方が夢があっていいでしょうかねー」と、いい加減な返事をして、匿名で出しましょうとなりました。

さて、その第一通目が届いた時のその女の子の反応です。どうしたと思いますか?女の子は、今までもらった手紙や葉書を全部ひっぱり出してきて筆跡鑑定をやったといいます。「誰がこんなことするんだろう。イタズラだろうか、気味が悪い」と言っていたそうです。

で、絵葉書に書く内容は、と言えば、たわいもない内容にしましょうと打ち合わせてありました。「今日は暑かったですね」とか、「昨日はテレビにスマップが出てましたね」とかの1行か2行しか書かないということにして。

その近所のオバサンは、「じゃあ、私は短大生ぐらいのつもりで出します」とおっしゃったので、「はあ、それは精神衛生上良いかも知れませんね」とかなんとか言って、そのつもりで出して下さってました。

女の子は最初は気持ちが悪いなと、そういう反応だったんですけども、やがて葉書を少し心待ちするようになってくれたという噂が伝わってきて、「良かったですね」と言ってたんです。

 

ある時、その女の子がお父さんと大喧嘩になってしまって、その喧嘩の中で、お父さんが「このままではダメだぞ、みてみろ、お前はもう一人ぼっちではないか、このままじゃ将来も全然無いぞ」と、ワーワー怒鳴りちらした時に、その女の子がですね、言い返したそうなのです。

「お父さんはそんなふうに言うけれど、私にだってこうやってずっと絵葉書を出してくれる子がいるんだよ」と、そう言い返すことができたというのです。それを聞いて、「出した意味がありましたねー」とオバサンと私はつくづく言い合ったことでした(鼻をすする音)。

 

もし絵葉書を出していなければ、「みてみろ、お前は一人ぽっちじゃないか」とお父さんに怒鳴られた時、その子は何も言わずにうつむくしかなかっただろうなと思うのです。

そういうことを考えると、たとえ近所のオジサン、オバサンであっても、私たち大人の役割というのはいたる所にあるものだと思います。

 

25.植物図鑑

 

この話いいなあと思うものだから、あちこちで紹介していましたら、実際に実行されている先生がいらっしゃって、葉書を出し続けたりしておられる。その、ある先生が、「1行2行でいいということで始めてはみたものの、実はその2行もだんだん詰まるようになって、最近、それで毎日つらいんですよ」とおっしゃいました。

このつらさにはいくつか要因がありまして、自分の名前を書いて出しているということのつらさが一つあります。匿名だとけっこう出しやすいものですし、それこそ適当なたわいもない話題でいいんでしょうけど、差出しがOO先生だということが分かっているとなると、出す方の立場として、どうしてもかまえてしまって、だんだんつらくなるものですよね。書くネタが尽きて苦しいと感じるのですね。

 

その先生との話で、「うーん、どんな工夫があるでしょうかねー」、「葉っぱの葉書は無理そうだし、絵葉書もいつまでも絵柄を変えようとしても限界があるし、一つの絵柄を二回までは出していいことにしますかねー」などという話になると、ちょっと迷うわけです。そこで安易に妥協すると、ダメだというカンが働くからです。

 

話の中で、これもあまり思いつかないものですから、植物図鑑を用意して、毎回植物を1種類づつスケッチして色をつけて出すというアイデアはどうでしょう、となりました。二万種ぐらいありますから、二万日はいけますよね。毎日出せば60年いけます。

もちろん、あまりいろいろ書かないで、「先生は植物好きだから、植物のスケッチを描いています。これは何のなにがしで、学名はこうです」とだけ書いて、色を塗ってドーンと描いて出すのです。

魚類図鑑、昆虫図鑑もいいですよね。そうすると、出す方もですね、色を塗って、「お、きれいに出来あがった」という感じで、出す自分もちょっと楽しいかなと思ったりするわけです。

義務になってしまうとつらい作業になってしまいますけども、そこでつらくなく、ただ毎回出来ばえを見てちょうだいと送り届ける感じ。そこには励ましみたいな文字は書いてなくて、出来ばえのきれいさをただ見せたいという感じ。

 

これはもはや、学校に来る、来ないという次元を越えて、学校をあいだに置かない大人と子どものつきあいみたいなものになっていますよね。

そういう工夫がいるんだろうなと思います。何を書いたらいいんだろうかと迷う時に、これは学問的な話ではないですから、精神科医なんかに聞けば答えがあるというものではなくて、思いつくものといえば植物図鑑といった程度の大した事ではないわけで、みなさんそれぞれがですね、「わからん」と簡単に言わないで、ウンウン唸って一つか二つの方法をひねり出すことが、必要じゃないかなと思ったりします。

 

26.「本気」なら伝わる

 

もうひとつ、矛盾するようですけど、助けになるやり方がありまして、例えば不登校でぜんぜん先生にも会ってくれない子どもさんに、こう言ってみるのです。「今日は座り込んで、会ってくれるまで帰りません。何日でも帰りません」と。これも実行すれば、時として心を動かします。

何日でも帰りません。仕事もあるけどもう休みます。三日でも四日でも一週間でも、会えるまでは帰りません、という接し方は、そうっと助けるということの全く反対の極にあると言ってもいいやり方ですよね。もう押しつけがましさバリバリです。「絶対会うまで帰らん」というわけですから。

でもこれも伝わりやすい。365日の葉っぱの葉書と、「会うまでは何日でも帰りません」という方法は全く逆のやり方なのに、似ているのです。

 

何が似ているかといいますと、本気具合です。何だか本気。子どもさんにとっても、365枚の葉書がどんなに労力と時間がかかるかは想像できますし、何日も人の家に座り込むということの大変さもまた想像できるのです。そのことが届くようなところがあるわけです。中途半端な対応とか片手間では、なかなか心には届きにくいということです。

 

子どもたちは、自分の人生をかけて学校に来れないという状況が続いているわけです。今の日本において、学校に行かないことがどういうハンディキャップをもたらすかということがわかった上で登校できないのです。それこそ、結婚できないかもしれないし、ひとりぼっちになるかもしれないし、就職もできないかもしれない。そういうもろもろのことがわかった上で学校に行けてない状況ですから、通り一遍の接し方ではなかなか心に届かないに決まっています。本物が要求されるということになります。

 

で、迷うわけです。座り込もうか、葉書を出そうかと。自分にとって座り込むのはなかなか難しそうなので、うーんしょうがない、回数重ねでやろう、いや待てよ、本人のためには座り込むべきか、と迷う。そういうギリギリの本気具合というのが必要なのです。

これを、朝早く行って、今日は夜11時まで帰りませんと座り込んで、「11時になりましたので、今日のところは帰ります」というのは、「ご苦労さまでした」と言われて終わるようなところがあるわけです(笑)。子どもさんの想像の範囲内と言っていいでしょうか、そういう感じ。

でも二日も三日も泊まり込まれると、「あれっ」と思います。「なんだろうかこの人は。どういうつもりだろうか」と、新しい関心が座り込んでいる大人に向けられ始めます。そうなると、やがて子どもさんの心の中に答えが出るのです。

何のためにこの人が何日も仕事を放り出してここに座っているかというのは、やはり自分のことを思っているんだな、それも本気なんだなという答に到達するのです。言葉で言わないんだけれど、伝えたい思いが伝わる、正確に心に届くということがあるのだと思います。

 

27.「挨拶は大きく元気な声で」と思っていませんか?

 

また話が変わりますが、家庭訪問の話です。

学校に子どもさんが来ていないということで、担任の先生がその子に、押しつけがましくないかかわりを始められました。具体的には、家庭訪問をして、ただ挨拶だけして帰ろうというかかわりです。そして、それをずっと続けよう、とれる時問が朝しかないので、朝、学校に行く前に寄って朝の挨拶をしますね、と始まったのです。お母さんも「ぜひお願いします。申し訳ありません」と言われて、それがずっと続いていました。

 

ところがです、やがてお母さんがおっしゃるには、先生の声があまりにも鮮やかに大きい。「おはよう」という声があまりにも大きすぎて近所に鳴り響いているようで、「おはよう」と挨拶されるたびに、自分の子どもが今日も学校に行っていないということが、近所中に知れ渡ってしまうように感じて、消え入りたいような心細い気持ちになる。毎日耳をふさぎたくなるのです、と打ち明けられました。

先生としては、朝のさわやかな挨拶だけでもして元気を届けようという、もちろんそういう気持ちです。

 

最初は合意の上で始めたことです。ところが1ケ月たち、2ケ月近くになるうちに、お母さんはその声を聞くたびに、もうドキドキして不安で怖くなってしょうがない。できればもうやめて欲しいと思う。でも、毎日来て下さっている、それも自分の時間をさいて来て下さっている先生の手前、なかなか言いづらいわけです。もう少し声を小さくしてくれませんか、とはなかなか言いにくい。

言えないままに、先生は明るく、大きく「おはよう」と言い続けられる。そういうことが生じたのです。

 

よかれと思って、双方納得して始めたとしても、時々調整というか確認が不可欠、ということですよね。

一方が最初の約束通り、善意で頑張りつづけている、しかしその背後で実はお互いの距離が遠ざかっている、ということが、人間のつきあいにおいては、非常に生じやすいのです。ですから、私たち援助する側といっていいんでしょうか、かかわる側としてはですね、そういう背後を常に想像しておかないといけないわけです。

 

家庭訪問をするという時に、「してもらえてありがたい」という単純な反応で終わるはずもないのです。終われればもちろんハッピーエンドですけどね。訪問されることで近所の目に気兼ねしないといけないということがあるかもしれない、声の調子、強弱でさえも、家族は気になっているかもしれない、と想像しておかないと、どこかしら一生懸命さの押し付けになり兼ねないという側面があるんだと思います。

 

28.大人の意見を合わせる

 

ここで言いたかったのはですね、子どもさんへの援助というのは、大人の意見を合わせるという作業を、根気よく続けることなしには成り立たない、ということです。

完璧に合わせたつもりでも、それこそアッという間に、(その日の夕方にはもう)、大人の考えにはずれが生じるからです。何回も何回も根気よく合わせ直す努力が必要なのです。

 

大人ほど意見が会わないというのが経験則ですよね。先生方も、たとえば職員会議での意見の合わせ具合を思い浮かべていただいたら、よーくおわかりだと思います。学校の先生でさえもというか、先生だからこそというべきか、意見が合いにくいわけです。医者の世界でも同じです。なかなか意見が合わない。

大人と子ども、先生と親、意見は簡単には合わないものだと常に思っておかなければいけないのです。それと、弱い立場の人は、強い立場の人に意見が言いにくいはずだと、これは当たり前ですけれども、思っておかなければいけないと思います。

 

ですから、家庭訪問を続ける時にはですね、「今、家庭訪問を続けていますけど、そのことで何か不都合はありませんか?」というふうに2週間に1回とか、1ケ月に1回とか、必ずご自分の方から聴いてみることが必要なのです。「声はこんな大きさでいいでしょうか?服装はこんな感じでいいでしょうかね。ジャージで来てますけど・・・」みたいな問いかけがいるわけです。「もっと普通のサラリーマン風の格好で来た方がいいでしょうかねー」とか、そういうちょっとした言い回しの工夫なんですけれども、そういう投げかけが援助です。

ただ行く、善いことをしているから後は枝葉だ、とあんまり思わないで、その枝葉の部分に気を配るというのはとても大切だなと思います。

 

「お母さんが安定すれば、子どもが安定する」という原則があります。不登校の生徒を援助する時に、担任の先生とか、保健室の先生とか、学年主任の先生とか、どなたでもいいんですが、親ごさんと良い関係かどうか、あるいは良い関係をつくる努力をするかどうかが、事の成否にかかわっていると言ってもいいわけです。だから、見知りあいになって、馴染みの関係になることは、援助の際の重要な目標なのです。

 

蛇足ながら、お母さんの欠点とか、おうちの欠点が丸見えの時ほど、先生方としては注意をしていただきたいと思います。注意というのは、「その欠点を指摘しすぎない」ということです。関係もできていない時に、正しいことであっても指摘されると傷つくし、責められたように感じて腹が立つものです。そうなると、表面上のお付き合いになってしまって、本物の話し合い、本物というものがあるとして、本物の援助はもう作り難いということになります。

 

29.ぜーんぜん忙しくないですよ

 

もう一つ、おんなじ様な事ですが、おうちの人が学校に電話をかけたときに、たまたま先生が忙しかったりして「ちょっと忙しいんです」と言われると、もうその後の電話は非常にかけにくくなると、よく耳にします。

ただでさえかけにくいところを思い切って電話したのに、「忙しいのだろうな」と思いつつ遠慮して電話をしたのに、やっぱり「忙しい」と言われてしまう。「何月までは○○があって忙しいんですよね」と言われる。がっかりするような、ちょっと腹が立つような、複雑な気持ちになってしまいます。いきおい、もう電話はかけないということになります。

ですから、プロとしてはですね、口が裂けても「忙しい」とは言わないことです。忙しくても、です。それは内部の問題ですからね。「忙しい」という言葉は、お母さんに言うべきことではなく、もっと言うべき場所はほかにあるわけでして、お母さんに対しては「いや、ぜーんぜん忙しくないですよ」と、涼しい顔で、いえ声で言わないといけませんよね。

やせ我慢が必要なのです。それは気後れしてかけてくる相手への配慮です。そういうちょっとした配慮、姿勢というのが、実はお母さんと協力態勢を作っていく中で、たぶん必要不可欠なんだな、と思います。

誰でも考えるような、配慮の基本ですよね。でも、それをするかしないかということで、ずいぶん結果が分かれる、ということになります。配慮をしようと思う、ならば、その配慮のレベルを上げましょう、という今日繰り返ししている話です。

 

30.子どもにとってよくない?親の職業

 

もう時問もあまり無いのですけれども、これも良く紹介しているお話なのでしゃべってしまいます。今日は先生方が多いので、というかほとんど先生方なので、ちょい迷いはあるのですが、せっかくですからね。

子どもにとって親の職業で一番よろしくないのはどの職業だろうか、という事を、精神科医が集まったときにこっそり話をしております。偏見も偏見なんですけれども。

様々な理由で児童・思春期外来にやってきた子どもさんに、お父さんの職業は何ですかと聞きます。「○○」と聞いて、職業ごとにいろんな気持ちが心に浮かびます。

「こりゃー長引きそうだな」とか、「こりゃーたいへんそうだなー」とかいうふうに。顔には出しませんけど、伝わっているかもしれませんけど(笑)、偏見が思い浮かぶのです。

 

で、その第一位はですね、子どもにとって良くなさそうな親の職業第一位は、両親が医者である、です。もう両親が医者とか聞くと「むむむ、こりゃーいかんぞー(笑)」と思ってしまいます。偏見なんですけどね。偏見あったらだめだな、と思うんですけれどね。

次、第二位はですね、父親が医者である。第三位は両親が学校の先生である。第四位がお父さんが学校の先生である。第五位はお父さんが警察官である。第六位はお父さんが銀行員である。後はまあランクは別に無いのですけれども、だいたいこんな丸秘ランキングです。

今言ったのはただの偏見ですから、意味も根拠もまったく無いし、学校の先生であろうとなかろうと、いいお父さんであったり、そうでなかったりと、もちろん千差万別のはずです。

 

でも今あげた職業に共通するイメージ、というのがありますよね。この共通するイメージがどうやら子どもに良くなさそう、ということがあるかもしれません。

どんなイメージが共通しているか、ちょっと考えてみると、なんかまあ、偉そうな感じがありますよね。警察官、ううん、なんかこう警察官が嫌いとかいっている訳では全然無いんですけれども(笑)。あと、絶対正しそうな感じがするという事があるでしょうか。もう一つは、話をしたときに理屈負けをしそうな感じがする(笑)、というのもありますね。それから、勉強とか努力とか頑張りとか、そういうことで地位を得てきた強さがあるというか、そうしないとダメだと怒られそうな、そういうイメージがあります。

 

そういうもろもろがなんだかよろしくない。隙が無い感じ、抜けた所が無い感じがなんだかよくないよねーと、自分たちのことは棚に上げて、話すことがあるのです。特に、理屈負けをしそうな感じ、というのは害が大きいかもねというあたりが、偏見のまぁ中心でしょうか。

 

31.隙が好き

 

さて、「頭ごなしに怒ってはいけない」とよく言われますよね。小さな子どもだって一個の人格があるのだから、頭ごなしにガツーンと怒るのは人権無視であって、子どもを物としか思っていない。だから、怒るとしても、理由をきちんと言って怒りましょうと言われます。しごく当たり前の話です。

 

でも、さっきの理屈負けをする、しないという話に強引に結び付けて言えばですね、たとえば理屈で怒らなければどういう良いことがあるか、と言いますと、お父さんからガツーンと怒られる。理由はまったく無し。頭ごなし。すると、子どもの心の中には「お父さんの方が間違っている。お父さんは横暴だ。自分のほうが今回は絶対に正しい」という気持ちがあふれてくるというか、まあ支えられるといいますか、そういうことが生じます。

 

ところが、理屈付きで怒るとですね、常に正しいのはその理屈を言う人の方になってしまいます。

「いや僕はこう思うんだけど」と子どもが言うと、「そうかな、でもこういう側面から見ると(爆笑)、ほら、これこれこうでしょ。違うでしょ」とやんわり否定する。子どもがさらに、「いや、でもこうだ」と言っても、「いやいや」とか言いながら、最後は必ず勝つ訳です(笑)。理屈で勝ってしまう。そうすると正しいのは相手の側になります。つまり、大人の側ということになりましょうか。先生であり、父親であり、母親であるということになります。

さっきのガツーンと怒られて、「正しいのは自分だ」と思うのとはえらい違い、です。

 

ガツーンと怒ればよろしいということでは全然ないんですけど、でも理屈、隙の無い感じというのは、実は子どもが自己主張をするとか、間違ってもいいから自分を出すということの芽を随分摘んでしまうことになりかねないな、と思ったりするのです。

 

だから、できれば、少し隙を作っていただく。ほんとは天然で、普通にしていても自然に隙があるというのが一番いいんでしょうけれども、そうそうそんな方はいらっしゃらないでしょうから、まあ、自分なりに少し隙を作る。

 

おんなじような話で、子どもにとってどんなお母さんが一番理想かという精神科医の裏話では、「少しぬけたお母さんがよろしい」(笑)となっています。あーよかったと思われた方もいらっしゃるでしょうし、しまった私はぬけていないと思われた方もいらっしゃるでしょう。

ぬけてなくて隙が無い感じ、というのは子どもはたぶん息苦しかろうという想像です。あくまで、たぶんですよ。

 

現代社会は、子どもの数が減ってきたり、経済的に豊かになったり、たくさんの情報があったりで、子どもたちに対して大人の目が行き届く社会になっています。社会も学校も家庭も、隙が無いことを求めて、それを手に入れたようなところがあります。

そのことは、隙の無いことが、子どもにとってよくない面があるということを考えると、ちょっと深い問題です。

 

何事にも一長一短がありますから、ガツーンと怒れば解決するという事では全然ないんですけれどもね。まあそういうところでしょうか。

 

32.本当の気持ち

 

それから、もう本当に最後ですけれど、私たち大人は子どもさんが悩んでいたり、問題行動があったり、いろいろな症状が出ているときに、「本当の気持ち」というのを必ず聞きたくなります。聞くべきだ、知るべきだ、そのための努力をすべきだと思っていると思います。

ぐずぐずしているように見えるとき、学校に行きたいんだか行きたくないんだかはっきりしないとき、「本当はどうしたいの?」、「本当の本当はどっちなの?」と、つい聞いてしまいます。

で、「わからない」と返事されて、あっさり引き下がる大人はいないわけで、たいていは「まあそう言わずに(笑)本当のところはどっち?」と聞きただすだろうと思います。

それでも言わないと、「ここでは話しにくいんだろうから」という話になって、場所を替えたり、人を代えたりして、また「本当の気持ち」を追っかけます。

それでもはっきりしないとなると、「どうもこの子は本当のことを言わないんですよ」ということになって、とうとう精神科に連れてこられてしまいます。「専門家の力で本当のことを聞き出してください(笑)」と言って。

 

あたかも「本当の気持ち」というものが心のどこかにあるかのように、あるのに言わないかのように連れてこられるわけです。

でも、「本当の気持ち」などというものは、ちょっと想像してみればすぐ分かるように簡単に割り切れるものではありませんよね。「行きたくもあり、行きたくもなし」というあたりが本当の気持ちだったりします。

「どっちなの」と聞かれても、二者択一の質問には答えようがないのです。あえて、本当の気持ちを言葉にすれば、「わからない」という言葉になるでしょうか。

 

「本当の気持ち」は相手に聞くものではない、こちらが想像してみるものだ、と思っておくセンスが必要です。「わからない」という答が、今のこの子の本当の気持ちだな、と想像するセンスです。

そうしないと、せっかく本当の気持ちを話した子どもに、大人の都合で、大人が納得、安心する「本当の気持ち」をいつまでも問いただす、という愚かなことになってしまいやすいからです。

 

「わからない」と言われると、大人も不安になります。割り切って、たとえば学校に「行きたくない!」と断言されると、「じゃあしばらく休みましょうか」と言ってあげられますし、「本当は行きたい!」と言ってくれると、「じゃあ、もうちょっと努力してみましょう」と答えてあげられます。

でも、「わからない」と言われると、アドバイスのしようがなくて、不安になり、「わからんじゃ、わからんでしょう」と、つい責めたくなるのです。

 

しかし、求められているのは、まさに「わからない」ということへの援助ですよね。

「板挟みのときに、人間はどうやって乗り越えればいいの?」と問われているようなこととおんなじ、あるいは「取り返しがつかないこと、取り返しがつかないと思えるようなことはどうやったら取り返しがつくの?」、「自分が存在していることに意味はあるの?もしあるとしたら、それはどうすれば確かめられるの?」と、大袈裟に言えば、問いかけられているようなものです。

 

不登校をめぐって言えば、一見「行きたい」あるいは「行きたくない」という単純な問題に見えますが、根底にあるのは、「心の中に、矛盾する二つの気持ちがどちらも同じくらいの割合で存在する時、人間はどうふるまえばいいの?」という問題なのです。

立ち止まるか、逃げるか、無視するか、割り切るか、悩むか、譲るか・・・どうすれば一番いいのか、それには誰も正解なしです。

だからと言って、「正解はないんだよ」と言えばすむわけではぜんぜんありませんよね。もちろん、「そりゃあ頑張るしかないさ」という言葉もまた場違いです。

 

さてさて、何と答えてあげればいいのでしょうか?

その子の板ばさみの気持ちを汲んで、わからない時間を耐える、というか、悩む時間を保証して支えてあげたい気もします。でも現実の時間は迫ってきます。学校をやめたほうがかえってスタートが切りやすいようにも思うし、やめずに粘ることの価値もありそうな気がします。

私たち大人も板挟みです。しかしその板挟みに耐えて私たち大人は、魔法の言葉なしに、見栄えは悪くても、迷った上での人間的な答えを言ってみることが必要なんだろうな、と思います。

 

ある言葉が思い浮かびます。

「わかってほしい。でも簡単にわかってほしくない」

 

えー、話題は尽きませんが、時間がきましたのでこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

 

著者略歴:
昭和31年生まれ. 大村高校、長崎大学医学部卒業.
昭和60年 長崎大学医学部精神神経科に入局.
昭和63年 公立学校共済組合・関東中央病院の小倉清先生のもとで児童・思春期精神医学を研修.
平成元年 国立療養所天竜病院(静岡)の児童・思春期病棟に病棟医長として勤務.
平成2年 長崎大学医学部精神神経科にもどり、児童・思春期外来を発足.代表として従事.
平成3年?平成5年 長崎県離島医療圏組合・五島中央病院精神科に医長として勤務.
平成6年 国立長崎中央病院(現国立長崎医療センター)に勤務.
平成7年 三和中央病院に勤務.副院長.
平成25年5月 さんクリニック院長.